<< 14年ぶりの昆明へ 2009旅... 愚かな女と呼んでくれ・前編(た... >>

愚かな女と呼んでくれ・後編 ラオス 2009旅日記の2

b0033537_1854449.jpg

山道の雑貨屋。なんとガソリンも売っている、こともある


(承前)
怪我が大したことなかったからでしょう。とりあえず早急に事故の痕跡を消さねば、という意識が働き、バイクを起こしてスタンドを立てました。
そこへ一部始終を見ていたらしいさっき追い抜いたレンテンの人が小走りに来てくれて、まずは「腕動かして! 首動かして! 足は! 胸とかお腹は!」と、けがのチェック。幸い、動かない部位はありません。ちょっと落ち着いて自分でよく見ると、右の手首の掌側を強く打って出血しているのと、右膝をかなり強く打ったらしくそこがイテテなのと、怪我としてはそんなもののようでした。足から血が出ているのは、宿に戻ってから知りました。
レンテンの人は散らばった反物を拾ってくれて、真っ白の砂埃だらけになっているのをはたいてくれて、元通りカゴに入れるのを手伝ってくれました。その間、車とバイクが何台か横を通過したような気がします。
私が大丈夫らしいのを確認すると、レンテンの人は先を急いで行きました。私はさらに落ち着いて、まずバイクを点検。幸いにもほとんど傷もなく(最初から傷だらけだったし)、「お前、事故っただろ」と言われそうな痕跡はありませんでした。でも自分を見るとズボンもジャンパーも真っ白の埃まみれ、これではバレバレです。あわててはたき、落とせるものは落としました。
それから自分がバイクに乗れるか確認してみましたが、とりあえず右手首が痛いだけで、何とかなりそうです。痛くてじんじん痺れているけれど、指が全部動くので、折れたりはしていないでしょう。ギヤチェンジは左足です。
バイクのエンジンもかかります。私はとろとろと、坂道を下り、町に引き返しはじめました。途中、レンテンの人がいたので、停まって「さっきはありがとう」とお礼を言ってから、町に入りました。
宿に入る直前で、埃が落ちないジャンパーを脱いで証拠隠滅(笑)。手首の出血は、別にバイク事故じゃなくても血くらい出すだろ、へへーん、って顔して宿に戻り、部屋に戻ってあらためてよくよく点検してみました。勢いよく走っている状態でバーンと転倒したわけではないし、幸いにもバイクの下敷きにもならなかったので、怪我としてはほんとに打撲と擦り傷だけですみました。よかったっす。ここで骨折とかしてたら、先が全部消えてしまうものね。
近くの薬局に出かけて傷を見せるとすぐに消毒液と絆創膏とガーゼと包帯を売ってくれました。手首は絆創膏でかくれるくらい、あと小砂利がめりこんでたのはそのうちに取れました。膝はまぁ、いいやね、そのへんの話は。
そうそう、後日、中国で膝の痣がものすごいことになったので記念写真を撮ろうとしたのですが、「私は美しいものを撮るために生まれてきたのです」というポリシーを持つカメラだったらしく、ちゃんと撮れませんでした。そんなもん見せられなくてよかったね、みなさん。

その日はもう1つ、織りの村というところへ行きましたが、特筆すべき事はなにもなし。てことはつまり、いい布には出会えなかったということでして。残念でした。

翌朝、早起きしてムアンシンというさらに奥まった村へバスで行こうとしていると、宿の人が「バスは8時発だから、着くのは11時になるよ」と教えてくれました。たった60キロほどなんですが。11時だと、目当てのマーケットは終わっている可能性が大です。そこでワタクシ、またしても愚かなことに、バイクで行こうと考えたのでありました。
ガソリンタンクは3リットル、このバイクはリッター30キロしか走らないからね、と宿の人に言われて出発。町はずれのスタンドで満タンにして、出発です。算数が得意でない私ですが、これで走れるのは90キロ、往復120キロだからどこかで給油しなければならない、ということはわかりました。
今日の道は全線舗装と聞いてます。ゆっくり行けば何とかなるでしょう。しっかし寒いぞ、おい。
途中、いくつもの村を沿道に見ながら2時間ほど走って、ムアンシン到着。思ったよりも町っぽい、でも人はいない……。というのが第一印象でした。ツーリストがいたのでマーケットの場所を聞き、行ってみましたが、ガラーンとして人はまばら。山岳少数民族なんてどこにも、どこにもいません。
えー、終わっちゃってたか、こんなもんなのか、そのどちらかでした。
前夜泊まって朝早く見に行くと、きっと違うのだろうと思いますが、保証はしませんのであしからず。なんせ自分は知りませんからね。

b0033537_18424278.jpg

あまりのがっかりに、アヒルなぞ撮っている


ものすごくがっかりして、町はずれの飯屋で麺を食べて、とぼとぼと帰路につきました。


b0033537_1847223.jpg

 この日の相棒カックン号。なぜかカックンカックンするのです、走行中に(笑)
ムアンシンにて


さて、日も高くなり気温も上がり、往路よりは快適に鼻歌まじりに走行する私。
賢明な読者はもうお気づきでしょう。
愚かな私が気づいたのは、18キロほども走ってからでしたよ。
ガソリン入れるのを忘れました…………。
途中、何もない小さな村ばかりの山道で、入れるとすればムアンシン以外になかったのに。がっかり感が強すぎて、そんなことすら思い出さず、トコトコ走ってきてしまいました。
「引き返さなきゃダメか」
絶望的な気分になりながら道端にバイクを停め、タンクを覗いてみました。するとあら不思議。タプタプと、たっぷり入っているじゃないですか。念のため揺らして確認しましたが、やっぱりどう見ても半分以上入っています。
「なーんだ、平気そうじゃん。そういえば原付って異常に燃費よかったよなぁ」
なんて能天気に考えた私。愚かにも、引き返さずにそのまま走る、という道を選んだのでありました。だってさぁ、18キロだよ、18キロ。引き返したくはないよね、普通。
ラオスの道には、まぁこれはどこの国でもそうですが、道端に小さなコンクリートの距離標が1キロ置きに立っていて、その道を進む者を勇気付けてくれます。トコトコとなるべくガソリンを無駄にしないように走っていく私。20キロ、問題なし。25キロ、オッケー。30キロ、快調快調。35キロ、まだまだいけまっせ。40キロ、ほれがんばれ、もう少しだ。45キロ、よっしゃ、このまま突き進めーっ!
しかし、この「残り15キロ」道標を見た直後のことでした。緩い上り坂で不意にアクセルに手ごたえがなくなったなと思った数秒後、プッスンという情けない音と共に、エンジンが止まってしまったのでありました。慌てて揺すったりいろいろしてみましたが、エンジンはかかりません。やばいです、ガス欠です。ていうか、こうなることはわかっていたはずだ、自分!

b0033537_18531931.jpg

あまりの展開、ここでちょっと休憩。途中の谷の反対斜面に見えた村、民族は不明です

あたりは山道。直前に通過した村からはかなり来ているし、進む方向にも村は見えません。このままバイクを押して行かなければならないのでしょうか、私は。残り15キロ、人間は1時間に4キロ歩くから、えーと、4時間ですか……。しかし上り坂をバイクを押して歩くのは、なんつう難行苦行でしょうか。想像するだけでおそろしい。
自らの愚かさを恨みつつ、私はバイクにスタンドを立てて、途方に暮れました。通る車もバイクもほとんどありません。だからこそまぁまぁ安全に私でも走ってこれたのです。
私は山道の山側を走っていました。ラオスは右側通行なので、右側が山です。深い樹林に覆われた崖が立ちはだかっています。そこからふらふらと、こんなバカ女はこの谷に落ちて死んでしまえ! と思いつつ、左手の谷側に歩いていった私の目に、眼下の斜面にへばりつくように建つ一軒のかやぶき民家の屋根が見えたのです。
おおっ…………! 神仏はこんな私をも見捨てないのでした。善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。賢者なおもて順風満帆、いわんや愚者をや。いや、そんなことはどうでもよく、というかこんなこと文字にしてどうする、文法的に間違ってるんじゃないか?
それはまさに奇跡としか思えませんでした。村もまばら、人家などなおさらまばらなこのラオスの山中で、バイクが果てた場所に民家があるなんて……。
こんな山奥の家です。ガソリンの買い置きがあるかもしれません。もしあったら分けてもらおう、なかったら……、わかんないけど、いちばん近いガソリン屋まで連れて行ってくれるようにお願いしてみよう。そう思って、民家に向けて斜面を降りていきました。
と、そこにはおじさんが1人。挨拶しながら近づき、「バイクが死にました」と身振りで伝えますと、親切な人で、すぐに見に来てくれました。男性は最初、バイクが壊れたと思ったらしく、困った困ったと言っていましたが、やがてガス欠と知るや「なんだ、ガソリンがないんじゃ走るわけがないぞ」と笑い出しました。そして何も言わずに家に取って返すと、やおら庭の片隅に転がっていたビアラオの瓶を拾い上げ、中に入っていた水らしきものをちゃっちゃっと捨て、それからおもむろに横に停めてある自分のバイクに近づきました。そして、私の目には神業に見えましたが、そのタンクからガソリンをビール瓶に少し移し入れたのです。それから道に戻って私のバイクのタンクを開き、そこにトクトクと、神の水を入れてくれたのでした。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と拝み倒している私に、
「次の村の雑貨屋で入れなさい、これだけではナムターまでは無理だからね」
と、お礼も受け取ろうとしないその人のポケットに強引にラオ札を入れて、私はまたトコトコと走り出しました。
ガソリンのある雑貨屋がある村は、そこから3つ先でした。途中で聞いてもみんな「ない」と言うので、かなり焦り始めたときに、その村に着きました。ここで1リットル入れて、後は安心。ナムターまで帰ったのでありました。

b0033537_18501112.jpg

さすがラオス、バイクにも愛国精神が浸透しており、ビアラオで走ります。んなわけない。ガソリン給油風景

あの、ものすごく反省しておりますので、お叱りはなしで、お願いいたします(笑)。

さてさて。
この日の午後、もうひとつ宿の人に教えてもらったレンテンの村に出かけました。今度はちょっと遠くです。それほど山道ではなかったけれど、ダートの道が長かった……。昨日の今日なので、特別に慎重に、慎重すぎて却ってこけそうなくらいゆっくりと、その村に出かけました。

b0033537_18572263.jpg

道路にホウキグサを干している光景はいたるところで見られました


村に入ってしばらくそのまま進んでいくと、藍染の布を干している民家を発見しました。とうとう見られるか、藍染。と思いバイクを停め、気配に気づいて出てきたおじさんにまたタイ語と英語で話しかけながら、ふと見ると家の扉の横の枠木に漢字が書いてある。中国ではよく見るおめでたい言葉です。家内安全、商売繁盛とか、ま、そういったようなことが書いてあるのだろうと思います。
まさか、と思いながら、「中国語話せますか?」と中国語で聞いてみると、「話せます」と言うではありませんか、びっくりでした。
そしてお互い同時に、「どうして中国語が話せるのですか?」と聞き合ったので笑ってしまいました。二人とも中国人じゃないのに、中国語で会話してる、そのことが実に不思議でした。
家の中に招き入れられ、すぐにお湯が出てきました。うっ、踏み絵です。愚かな私は飲んだフリとかできないので、飲みましたよ、ぬるくてコップが汚れてて実にスリリングでしたね。

b0033537_19188.jpg

糸くりの道具と台所

よくよく話を聞いてみると、この人は中国の広西壮族自治区から亡命してきたヤオ族でした。ヤオ族というのは、中国では揺族と書き、広西、貴州、雲南あたりに居住しているはずです。国境を越えてベトナムやラオス、タイにもいます。そしてレンテン族というのは、ヤオ族の一支系であるのです。なるほど、これでつながりました。
この、50歳代に見える男性は、両親と共に数十年前(このへんは言葉を濁していたので……)にどういう経路を通ってかラオスまで流れてきて、この村に住みつき、やがてレンテン族の女性と結婚した、のでしょう。
両親もまだ健在で、特にかくしゃくとした父親は水煙草を吹かしながらいろいろ中国の話などしてくれましたが、決して自分の出身地について詳しく語ることはしませんでした。
「広西のどこか…………、忘れてしまった」
これだけ話せ、また、結婚し子もある時期に国を出た人が、自分の故郷を忘れるわけがありません。どのような事情があって国を出たのか、それも語ろうとはしませんでした。
それでも地理的気候的に比較的近いと思われるラオスの山村に住み着くことができ、支系は違うとはいえ広い意味での同族の中で暮らすことができたことは、彼ら家族にとって不幸中の幸いと言えるでしょうか。これ以上、言葉が見つかりません。

b0033537_18591978.jpg

手作りの織機、手作りの杼


タイには中華人民共和国成立後に逃れた国民党軍が住み着いた村が今もあり、そこでは当たり前に中国語が通じます。また、タイ北部で出会ったリス族の家族は、中国からミャンマーに逃れ、さらにそこからも追われてタイに住み着いた、という話をしてくれました。このようなことは、さほど珍しいことではないのかもしれません。特に動乱期には、多くあったことなのかも。

とにかく言葉が通じるという気安さで、この家の人は機織も見せてくれ、藍甕も見せてくれました。反物も何本かあったので、昨日とほぼ同じ値段で購入できました。なんか、値段交渉したらいかん、という気がして……。正直なところ、商品としてはウチでは売れないかな、買い値が高すぎて。でも自分でいろいろ作ったりしたいので、自分用ということで納得して買いました。

b0033537_1921968.jpg

ラオスのレンテン族の女性は眉毛を落としている。この人もそうだった。紛れもなくレンテンの人だ

村はまだ奥につながっています。もしかして他にも言葉が通じる人がいるかなと思い、聞いてみましたが、中国語ができるのはこの家族だけ、とのことでした。奥に行けば反物を持っている家があると思うよ、と教えてもらいましたが、これ以上買うと私の身動きが取れなくなりますので、遠慮して、そのまま町に戻りました。今日は空ザックを背負ってきたので、反物はそれに入れて安全に(笑)。
この一族の写真も撮りましたが、掲載は控えます。お母ちゃんなら亡命者ではありませんからいいかなと思って、機織の写真だけ。



ルアンナムター・ラオス編はこれで終わりです。次回は国境を越えて中国、雲南省へ入ります。
因みに、膝はもう全快して何ともないのですが、手首のほうはまだ……。激しく打ったのだから陥没するならわかるのですが、小指側の手首の一番したのぐりっとしたところが、逆に飛び出ており、ここに力がかかると痛い。一ヵ月半前のバイク事故で医者に行くのもヘンだし、帰国後に行ってみようかなと思っています。ってことは、その程度の深刻さということなので、全然ヘーキということと同じであります。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-09 19:21 | 2009ラオ・中国・ベトナム
<< 14年ぶりの昆明へ 2009旅... 愚かな女と呼んでくれ・前編(た... >>