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雨の桂林・従江、トン族地区を行く 2009旅日記の4

昆明から桂林へは空路なら1時間かからないほどで着く。桂林は1989年に一度来たことがある。その時は、ガイドブックに載っている外国人宿泊可のホテルが軒並み「外人不可」となっており、一体全体何がどうしたことやら、つまりは外国人を締め出していたということなのだろうか。おかげで客引きに連れられて変な宿に泊まるしかなく、ここで私は生まれて初めて、本当に襲われかけた。以来、桂林は長く私にとって鬼門であり、人生で二度と来ないだろうと思っていたのだが……。
桂林は雨だった。空港は市内からずいぶん遠いらしい。案内所で聞くと「タクシー100元」と言う。何をふざけたことをと思い、うまいことバスがあったのでそれに乗ると、20元だという。空港から町へのバスが20元、ありえんと思っていると、中国人も20元払っている。そこでわかったのだ、ずいぶん遠いんだな、と。
相当走って桂林の街に入るが、このバスはバス駅へは行かないし列車駅へも行かない。おかしな交差点で降ろされて、そこからまたタクシーだ。バス駅に行ってもらい、すぐ隣にあった賓館にチェックイン。もう時間は夜8時を回っていたので、選ぶ余裕はなかった。100元だった。

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桂林のバス駅。とにかく漢字表記なので助かる。
上右の写真は私が乗った三江(サンジャン)行きのバス。まぁ何と言うか、ボロだった。

一夜明けても雨もよう。バス駅で三江行きのチケットを買う。保険を入れて35元。発車後すぐにガソリンスタンドに入ったり、わずか1時間半で飯休憩になったりするのは、あいかわらずの中国風か。それでも、ボロい外見からすれば懸命に山道を走り、4時間で三江に着いた。ここも雨。
次の目的地は従江だ。三江は単なる中継点である。乗り継ぎのバスは2時間後、保険入れて36元。
おや、と思う。桂林~三江より、三江~従江のほうが、距離はずっと短いのに、なぜ高いのだろう。はてさて。

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左は三江大橋から見る三江の町と鼓楼。すぐ近くらしかったが、雨だったので行かなかった。
右は街角の苗木売り。写真を見せながら果樹の苗を売っていた。なかなかの繁盛振りだった。

三江のバス駅で、行き先を確認してバスに乗り込んだ私に、運転手が声をかけてきた。「どこの人?」「日本人」「え?」「日本人」……。一瞬の間。いやな予感がした。桂林は、先の大戦当時、日本軍が爆撃した街であり、89年にはあちこちでその話を聞かされた。このあたりは反日気分が高いかもしれない。
しかし、次の瞬間に運転手が発したのは、意外にも
「日本人なのか! ほんとに? うわぁ」
そして、
「中国にようこそ! 三江と従江にようこそ!」
の声だった。

さて、走りだしたバスは、あっという間に道路工事につかまった。平均時速20キロ以下でしか走れない、あらゆる方向に体が揺すられる、とんでもない悪路。折りしもこの雨で、道は泥濘と化している。1時間半たっぷり、この悪路に揺すられる。心はともかく身はぼろぼろになる。
長い長い川に沿った工事区間を終えると、道はいくぶんましなダートになった。そして貴州省に入ったとたんに舗装道路になり、従江到着は夜7時半。たっぷり4時間、午前と合わせると8時間の走行だった。
もう暗くなりかけていたので、バス駅から出てすぐの春城旅館というところに飛び込む。値段は30元。各室の外廊下にガスボンベが設置されており、シャワーのお湯はガンガン出るし、マージャン好きの服務員は親切で布団をもう1枚貸してくれた。

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巴沙(バシャ)という村。バの字は、山かんむりに巴。原始風味の苗族の村、ということで行ったのだが、季節はずれでおまけに雨だったので、ほとんど村人もいず、その原始風味とやらはさっぱりわからなかった。すっかり観光地化されていることは、このたたずまいに似合わぬ公共水洗トイレが村入り口に設置されており、TOILET と英語看板も出ていることから推測されたが、このトイレがまた、見事な阿鼻叫喚悶絶地獄と化しているのが中国的だった。
中国人に言いたい。水洗トイレはまだ無理だ。どうせ使えない、すぐ壊してしまうものを作るのなら、昔の1本溝トイレのほうがずっとずっとマシだ。党幹部に見せるための水洗トイレなんか作って悦に入ってんじゃねぇよっ!(本音です、スミマセン)

気を取り直して。
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従江は黔東南ミャオ族トン族自治州に属する県だ。相当数のトン族が住んでいる。とある鼓楼のある村に向かっていた時に見かけた大行列。結婚式の行列だそうだ。お祝いの品なのか、引き出物なのか、どっちだろう。あるいは、新郎家が新婦家に贈るのかな。これが確率高そうか。

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村の入り口にあった小さな鼓楼。党の宣伝横断幕が貼られていた。
村でも結婚式が。これは人々が祝いの席に運んでいたもの。天秤棒の片方には米、片方は酒、だそうだ。米と酒には困らぬように、ということだろうなぁ。

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左が村の中心にあった鼓楼。写真が下手でまことに・・・
右はその内部で上を見上げているところ。ぜんぶ丸太と板で釘を使わずに作っているそうだ。トン族といえばこの鼓楼と風雨橋という屋根つきの橋が有名だが、どちらも見事な美しい木造建築だ。

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鼓楼の内部にはいろりが切ってあり、そこで火を焚いて、その火を取り囲んでずらっと男性ばかり、それも壮年以上の人々が座っていた。上右の写真も、この写真も、
「と、撮ってもいいでしょうか?」
「おお、撮りなせぇ~」
てな感じでお伺いを立てながら撮ったのだが、男性ばかりというのはえらい威圧感があるもので、びくびくものだった。
この人々はこの後、結婚式が始まるということで、ぞろぞろとその家に向かっていった。待機しておられたわけだ。

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ここが結婚式会場。人が大勢入っていく。
結婚式会場にも近い村の入り口付近。道路に散乱するのは爆竹だ。鳴りっぱなしだった。

実はこのエリアに来たのは、トン族の藍染を見るためだった。
見るといっても、この時期に染をやっているとは思わない。何かしら作業をしていたり、その反物があったり、するのではないかと思ってやってきたのだが、残念ながら春節の時期にぶつかったせいか、その手のものには出会えなかった。もとより、いつか時期を見て訪れるための下調べ、のつもりでもあったので、そうがっかりはしていない。「出会えなかった」と言うほどには、町も村も巡っていない。
しかし、このエリアは遠い……。広西側からも、貴州側からも、とにかく遠い。腰椎がイカれている自分がまたバスを乗り継いでここを訪れる日がくるかどうか、少々疑問である。
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by himalaya3 | 2009-03-11 20:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム
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