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金平・少数民族のバザール

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この紅い頭巾の人びとに会いたくて、2年越しで到着した金平。これは定期市でない日の市場の奥。おばあさんが孫を連れて買い物していた。

去年もここ金平へ行こうとして、市のスケジュールも完璧に調べてラオスから中国に入ったのだが、いろいろとあってたどり着かなかった。その時は、国境沿いにバスで最短距離を行こうとしたのが、おそらく失敗だったのだろうと思う。いや、普通の旅人ならオーケーだろうと思う。たまたま腰が悪い自分が無理な長距離移動を試みたからダメだったのだ。

今年は昆明から金平への直通バスを使うことになった。途中の元陽あたりも寄りたい場所ではあったが、残念ながら市のスケジュールが私の日程とはまったく合わず、それなら一気に金平まで入ってしまおうという気になった。この時点ですこし風邪を引きかけており、腰にも疲れがたまっていた。
昆明のバス駅はいくつもあり、そのどこででも金平行きがあるのかどうか、調べていないのでわからない。私が乗ったのは、昆明駅から北、昆湖飯店方向へすこし歩いた左側にあるバス駅だ。因みに昆湖飯店は昔のドミはなくなり、80元のトイレなし部屋があった。
このバス駅からの金平行きは一日三本。窓口で「一番いいバス」と聞くと、朝10時に出るバスだという。残り2本は寝台バスだ。服務員を信じて昼間のバスに乗ることにした。

昆明から石林までは高速道路で信じられないくらい快適な道。しかし石林からは一般道しかなく、片側1車線のごく普通の国道を進む。驚いたことに、広州から昆明へのバスはこのルートを来るらしく、何十台もすれ違った。途中の弥勒は巨大マンション郡の建設工事に驚き、開遠は町のあまりの巨大ぶりに目を見張った。ここで運転手交代。呆れるほどに喋り捲る運転手だったのでほっとした。アジアは「喋る運転手」に悩まされることが多いが、それにしてもこんなにパワー全開でまるで芸人のように喋り倒した運転手は他にいない。
この開遠から箇旧のあたりは標高が低いのか非常に暑く、道端でもさとうきび、みかん、びわ、バナナ、パイナップルを売る露店が目立った。
元陽への道を右手に見送り、道路の行く先表示は「河口」一つに絞られる。時折ひどく悪くなる道路を、ともかくひたすらに南下していく。大きな谷の左岸をひたすら下っていく。
やがて蛮托という小さな集落に着き、ここで直進する河口への道と分かれ、今まで下ってきた谷を対岸に渡る。渡ったところで二度目の休憩、午後4時40分。

対岸を引き返しながら進み、やがて支流に入っていく。ここからがとんでもない山道の連続。ひたすら沢を詰めては渡って引き返すことの繰り返し。吐いてる人多数。
うんざりするくらい時間がかかる。ひたすら登っていく。寒くなってくる。やがて山を乗り越したあたりが阿得博、大賽という場所もあった。農業は~に学べ、という標語を思い出した。ここではないが。
しばらく行くと、水牛を追っている紅頭ヤオ族を見かけた。初めて見た。
さらに行くと、毛皮のようなものを背負った人々を見た。原始人だ。
さらに行くと、集落の片隅で集まって刺繍をしている紅頭ヤオ族を見た。売ってくれ!
夕陽はとっくに山に沈み、あたりは暗くなってきた。道はバスがすれ違うわけにはいかないほどの狭い山道。トイレ休憩からこちら、通過するのは小さな集落ばかり。この先に本当に金平などという町があるのだろうか? と不安になってくる。あるにはあっても、宿もない、今通過しつつあるような小さな集落だったらどうしたらいいのだろう。宿があるという情報はどこかで見たような気がするし、そもそもバスが日に3台も行く町なのだと思ってはみても、それにしても山道が寂しすぎる。この先に大きな町があるなどとは、とても思えない。
そして、バスはあえぎながら最後の峠を越えた。あとは下っていくらしい。と、遠くに大きな町が見えてきた。金平、こんなあほみたいな山道の先に、なぜこんな町があるのか。
金平バス駅着、午後7時ジャスト。もう暗い。昆明から9時間かかった。
バス駅付属の宿に泊まることにする。1泊50元のところ交渉して35元にしてもらう。夕飯は駅の広場に出ていたミーシェン屋で。1杯7元だった。

翌日、バス駅の服務員に市の情報をいろいろ教えてもらった。「ときどきカメラを持った日本人が来るわ」と言っていた。「ふーん」と答えると、「祖先の写真を撮りに来るのよね」と言う。「え?」と聞き返すと、向こうが驚いたように、「え、知らないの? あなたたちの祖先はハニ族なんでしょ、だからここまで来るんでしょ?」とのこと。うーん、そういう話を聞いたことがあるようなないような・・・。照葉樹林帯がどうたらこうたら・・・。忘れたなぁ、なんもかんも。
それはともかく、この時期はもう農作業が始まっているので、朝行かないとだめよ、とのことだった。

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普通の日の町の中。左は市内循環バス駅近くのさとうきび露店。いつも賑わっていた。右は私が泊まったバス駅から市の開かれる場所に向かってゆるゆると登っていく道の様子。町は斜面に広がっており、どこからどこまでなのか、よくわからなかった。


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左は別のバス駅。金平には私が知るだけで2つのバス駅があった。どちらもちゃんとしたバス駅で、昆明行きもどちらからもバンバン出ている。
右はバス駅ホテルから撮った裏側の様子。マンションやらいろいろ建設中。マンションは、窓も何もないがらんの状態で購入し、それから窓とか鉄格子とかつけるらしい。まるで建設途中で放り出されているかに見えるこの右手のマンションも、ちゃんと住んでいる人がいるから不思議だった。

市は6日に一度。
この日を逃すと残念だが、近くでは毎日どこかで市が開かれている。スケジュールはバス駅や宿の人に聞けばわかるはず。私の場合は2日待って金平一つに絞った。腰が悪いので・・・。
さて、いよいよ市の日だ。朝から賑わっている・・・、と言いたいところだが、朝はそれほどでもなかった。それでも8時過ぎるとだんだん人が増えてきて、金中農貿市場は賑やかになってきた。カゴを背負ったハニやヤオの人もたくさん歩いている。楽しい。

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生きたニワトリを売っている。中国では当たり前の光景だ。
右は市の日の市場で、最初に撮らせてもらった紅頭ヤオ族の人。野菜を売っていた。1束1元。後で娘さんに聞くと、おん年90歳だそうだ。


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左はハニ族の人たち。藍染めの布を売っていた。自分たちの服や帽子にするための布だろう。多くのハニの人びとが物色していた。私も布を1巻買い、撮らせてもらった。藍染めのようだが、藍色ではなく、茶が強く出ている。ばいせんによる色なのか、それとも・・・? あるいは藍ではなく、はじめから茶に染めるためにまったく別の染料を使っているのかもしれない。このあたりはハニの人びとと言葉が通じずよくわからなかった。
右は糸を売っている店。木綿のかせを売っている。これを織って布にするのだ。大勢のハニ、ヤオの人びとがここでも品定めに夢中だった。


b0033537_16331276.jpgうぉお、この人たちに会いにはるばるやって来たのだよ。紅頭ヤオ族、近年お会いした中国の少数民族の中では、並外れて美しく着飾る人びとだ。


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我慢できず、布をまた1反買って写真を撮らせてもらった。スキンヘッドにかぶる紅い頭巾も売っていて、やり方も教わったが、とても複雑だった。この女性の頭巾の中には、ちゃーんと芯が入っている。


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照れるオバチャン(などと言いつつ私より年下だと思われ)にくるっと回ってもらった。それにしても美しい。刺繍は残念ながらだいぶ粗くなってきているが・・・。


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毛皮を背負った原始の人、いえ、ハニ族の方発見! 後ろから失礼して写させてもらう。
右は別の場所で撮ったこちらも毛皮を背負うハニの方。豚を囲んで何人かで談笑中だった。


b0033537_16404921.jpgこれは苗族だろう。さとうきびを品定めしていた。



たくさんの布を見せてもらい、刺繍した衣服なども見られてとても楽しかった。でも中国は、物価が上がりすぎた。たとえば刺繍したズボンが300元と言われると、4500円強なのである。いや、金額が高いのではない。金額に見合う品質ではない、ということが言いたいだけだ。
非常に残念なことなのだが、少数民族の人びともそれなりに飾ってはいるのだけれど、昔のような手の込んだ装飾ができているわけではない。昔であれば、手織りの木綿に絹または綿の色糸で細かな刺繍をしていたのだろう。けれど今は、化繊のクロスステッチ用の粗いガサガサした布に、蛍光色の毛糸で刺繍してしまう。出来上がるものは遠目にはとても綺麗で魅かれるのだけれど、近くで見ると「うーん」と思わざるを得ない、粗くて稚拙なものになってしまう。
苗族にいたっては、刺繍ではなく、刺繍柄のプリントのスカートでもう満足しているようだ。

人のことを言えた義理ではない、というのはもちろん、重々承知の上である。私たち日本人も、きものを捨てた。せめて何とかしてきものを着てもらおうと、二部式を編み出してみたり、汚れても大丈夫な化繊のものを作ってみたり、手縫いをやめてミシンに切り替えたり、様々な工夫を凝らしている。自分の衣服のために、それほどの手間隙をかけられる時代ではない。
それと同じことが中国の辺境でも起きている。もう刺繍や装飾に昔ほどの時間も情熱もかけられない。仕事も忙しいだろう。今の中国では、お金がないのは死んでいることと同じだ、とよく聞いた。男も女も現金を手に入れることに忙しい。刺繍なんて、たしかに、してはいられないだろうな・・・・・・。
そういえば、くる途中の山道で、民族衣装のまま急斜面を伐採した無理やりの畑にしがみつくようにして、苗木(形から考えておそらくパパイヤだろうと思う)を植えている少数民族をたくさん見かけた。ある場所ではそれはハニ族であったし、ヤオ族もタイ族もミャオ族もいた。
それでも、形を少々変えても、まだこの民族衣装を守っているのはすごいことなのかもしれない。

満足した部分と、何か足りないと思う気持ちと、両方を抱えて金平を後にした。
バス駅からは市場を通ってから町を出て行くことになる。私が立ち去ってから1時間ほど経った車窓から見下ろす市場は、さっきよりも格段に賑やかになっているように見えた。うわっ、残念。と思いながら、いや、残念だまた来たいと思うから旅は続くのだと思ったり。そうして来たときと同じ山道を、ずんずん進んでいった。


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by himalaya3 | 2009-05-07 17:09 | 2009ラオ・中国・ベトナム
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