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シミコット・西北ネパール 1992年5月

1992年の西北ネパールからチベット・カイラス山への旅は、何度思い返しても不思議な旅だ。
今でも、自分があの旅をした、あの道を歩きとおしたということが信じられない。それをしたのは自分ではないような感覚。
地図上の空白地帯だった西北ネパールから、ヒマラヤを越え、開いていない国境を越えてチベットへ。まさかできるとは思っていなかった。その反面、不思議と行けるような気もしていた。いったいどっちなんだと言われてしまいそうだが。それほど現実味のない計画だったということだけは確かだろう。
月並みな言い方をすれば、私はこの旅で人生が変わった。
のだろうと思う。
でも、実際のところ、変わったのは外側だけ、つまり職業とか周囲の自分に対する目とか、そんなものだけだ、という気持ちも同時にある。
私は幸運だった。この旅に出る1年半ほど前に出版の世界に遊びで(たった3ヶ月の編集助手アルバイトをほかに何と言えばいいのだろう?)片足突っ込んでおり、その後も何となくその業界の端っこで飯が食えた。このカイラスの旅の後、唯一写真を持ち込んだのがこのときの出版社だった。雑誌に持ち込んだのだが断られ、「ほんじゃいいや」とそれっきりにしていたのを別の人に発掘してもらい、本として日の目を見ることになった。
最初のまともな署名原稿が単行本だった、という点で、私はかなり幸運なライターだった。
その幸運を生かしきれなかったのは、私にその才も力も、本当の意味ではなかったからなんだろう。

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カイラスまでカバーできていないのですが、一応この辺りという目安に。お手持ちの地図などで補完してください。緑の実線が飛行機、赤の破線が徒歩、チベットに入ってからのプラン以北、北上していくルートはトラックです。

旅立ったのは1992年の5月半ばだった。
日本からバンコクを経由してカトマンズへ。中国ビザは、日本でトラブルがあって結局取れなかった。かなり怪しい招聘状だけはあったが、そこに「日本で取得すること」と明記されている以上、ただの紙くずと言えそうだった。
カトマンズで西北ネパール・フムラ地区のパーミットを申請した。係官は私をわざわざ別室に呼びつけ、壁に張られた巨大な地図を見せながら、中国との国境まであまりに近いので、許可された村から先へは絶対に行かないように、と、くどいほど念を押した。
この時、まだフムラ地区は通常のパーミット(*1)でケルミ村までは行けた。この翌年、このルートはカイラス観光ルートとして正式に開かれ、パーミット代が跳ね上がることになる。でもそれは私のせいではない(と思う)。

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カトマンズから酷暑のネパールガンジ(夜中に何度ぬるい水を浴びたかしれず、それでもまったく眠れなかった)を経由してシミコットへ飛行機で飛んだ。シミコットへ陸路で行こうとすると、多分ララ湖のあたりから、10日ほどかかるのではないかと思う(確かではない)。
シミコットの村は宿も食堂もなく、今まで見てきたどのエリアの村よりも、格段に貧しかった。その村の様子が上の写真だ。建物はほとんどもたれあって辛うじて立っているように見える。
私はネパールガンジの空港で乗りそこなった乗客から託された食料品を届けに、村で唯一の商店(のようなもの)に行き、届け物をしてあげたというわずかな恩を着せて(というか他に方法が見当たらず)、ポーターを手配してくれるよう頼んだ。何しろこの時の私は、テント、寝袋、灯油コンロ、水、米、小麦粉、缶詰・・・・・・、なども持っていたのであり、とても1人では運べなかった。2時間ほど待って都合がついたのは、14歳の少年、ダル君だった。
ダル君に60リットルを背負ってもらい、私は30リットルのサブザックにカメラやら詰め込み、歩き出した。ともかくも、西へ。

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村はずれの水場。女たちが服を洗ったり、髪を洗ったりしていた。煮炊きをしている煙も見える。

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最初に出会った一団。シミコットから飛行機に乗るのだろうか。それともシミコットが目的地なのか。言葉もわからず、ただ出あってすれ違って別れた。

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まだ村はずれからいくらも歩いていない。
山の上から村に向かって下りてきた少女。
すれ違い、数歩歩いてから立ち止まり、いつまでも私を見つめていた。あまり見つめるので、写させてもらったが、カメラなんて初めて見たのか、終始きょとんとしていた。

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馬に乗った人も下りて来た。
この街道では、時々こうして馬上にいる人を見かけた。
どこから来たのか・・・・・・。

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忘れられない一家の写真。
国境に近い村からシミコットめざして歩いていた家族だ。たまたま同じ場所で休み、ダル少年がなんとなく通訳してくれたのだ。
最初頑強に写真を嫌がったお父さんだが、ダライラマの絵葉書をあげると大層よろこんで、全員で写真を撮らせてくれた。
その後で、こう言うのだ。
「あんた、カトマンズの人だろう。この長男坊を連れていってくれないか」
「私は外国人だよ。カトマンズに戻るかどうかもよくわからない」
「それでもいつかは戻るだろう?」
「それは多分そうだろうけど」
「頼む、連れていってくれ。頼む」
乳飲み子を抱いた母親は何も言わない。まだ小さい弟も妹も、何も言わない。長男坊もまた無言だ。
まさか子どもを預かるわけにはいかない。カトマンズまで仮に連れて行ったとして、それからどうするのだ。
父親はがっかりしたようだったが、少しして一家は何事もなかったようにシミコットに向けて去っていった。彼らはいったい、どこに向かっていたのだろう。どんな理由のある移動だったのだろう。このエリアにいるにしてはいささか濃い顔の父親と、わずかながらウイグルあたりの血が混じっていそうな長男坊の顔は、今も、いつでも脳裏に思い浮かべることができる。

シミコットから歩き出してまだ数時間。国境も、許可された最終地点ケルミ村も、まだはるか先だ。

*1 通常のパーミットとは、個人で行ってよいというパーミットである。この時点でたしかムスタンやドルポなどは特別パーミットが必要になっていたと思う。この特別パーミットは個人では取得できず、旅行代理店を通じてガイド・コック・ポーターを雇い、燃料も持ち込みむ義務があったと記憶している。つまりパッケージツアーになるわけだ。政府からの監視役としてリエゾン・オフィサーと呼ばれる人(通常は警察官)が同行する必要もある。当然、かなり高額な費用が必要となるのだが、ギリギリこの年まで、フムラ地区はこの対象外になっていたのである。
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by himalaya3 | 2007-08-07 18:39 | 西北ネパール~カイラス1992
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