<< 抜けるような・・・ トルファン 1988年6月 >>

四川省布施・1991年(1)

b0033537_20271670.jpg

中国四川省涼山彝族自治州布施鎮。
おそらくこれで正しいかと思うのだが、布施県だったかもしれない。検索で出てこなかったので、不確かなままで相すみません。

1991年の夏、四川省の成都から最初空路で、次に陸路で、それぞれラサ行きを狙ったものの果たせず、がっかりしていた時に、交通飯店の掲示板に「彝族の火祭りを見に行きませんか!」というツアー募集の紙が貼り出されているのに気がついた。
それまで、この民族の名を聞いたことはあったが、実際にはどういう人々で、どこに住んでいるのかなど、ほとんど何も知らなかった。迷わずに、この祭りに行ってみようと思った。ただし、自力で。
その紙にあった地名は、西昌と布施の2つ。地図を一生懸命に見て、まず西昌を見つけ、次に布施を見つけた。自力で行けそうだな、と思った。
成都から夜行普通列車で西昌へ。明け方着いてそのままバス駅に走り、切符の売出しを待ったが、この日は結局切符が買えなかった。許可証が要るのである。そのまま公安局へ向かい、事情を説明して許可証を発給してもらった。

西昌を早朝に出発したバスは、最初こそ静かに進んでいたが、2時間もすると車内は着飾った彝族の人々で一杯になり、歌が始まった。私にはさっぱり聞き取れない歌。男も女も大合唱だ。昭覚を過ぎるとバスはぎゅうぎゅう詰めとなったが、歌が絶えることはなかった。
布施が近づくと、未舗装の一本道を歩く人々が目に付くようになる。マントを羽織る特徴的な民族衣装も美しく、何より彼らは、決してバスを振り向いたりしないことに驚かされた。まっすぐ前を見据え、自分を追い抜いていくバスになど一顧だに与えず、黙々と歩いていく。これは何かとてつもない民族なんじゃないか、と思えた。

布施に到着すると、町に一軒の招待所に向かい、チェックイン。事務室には町の偉いさんと思われるおじさんが数人いて、全員でパスポートと許可証を念入りに見学した上で、「記録に残る限り、当地を訪れた外国人としてはあなたが2人目です」と言った。冗談だと思うが、真偽は不明である。「これからツアーの人々が来るのではありませんか?」と尋ねてみたが、「いいえ、誰も来ませんよ」との答え。ツアーは成立しなかったらしい。

b0033537_19591710.jpg

町の中心である大交差点。当時ほとんど車は走っていなかった。トラクターがたまに通るくらい。あとは馬車やロバ車。だから人があふれていてもちっとも困らない。困らないのだが、人が密集すると見ると、公安が飛んできて「解散!」と警棒を振り回すのである。

b0033537_20194.jpg

こんなふうに馬車がカポカポと通り過ぎる。のどかな町だった。みんな明日からの祭りに備えて、前日に現地入りしているのだろう、と見た。

b0033537_2015952.jpg

女の子たちの民族衣装がかわいい。藍染の色も鮮やかだった。もう少し大きくなると、ほかの写真にあるような、白や黒のマントを羽織ることになるのだろう。この、白と黒に何か意味があるのか、たとえばかつて奴隷制があった彝族だから、身分の違いが表されているのか、それとも、黒彝族、白彝族といった違いがあったのだったか。よく記憶していなくて申し訳ありません。

b0033537_2043139.jpg

映画館の前に座り込む人々。
とてもたくさんのプリーツを折り畳んだロングのスカートと、青い上着はセットなのだろうか。この上におそらくマントを羽織るのだろう。
上映予定の映画はみな雄雄しいタイトル。天安門事件からちょうど2年が経過しているが、まだピリピリした時代だった。移動許可証を発給してもらわなければ、中国の人ですら自由に移動できなかったのではなかったかと思う。たしかバス駅ではみな、A4サイズの紙を大事そうに持って並んでいたと記憶している。
[PR]
by himalaya3 | 2007-12-30 20:12 | 四川省布施1991
<< 抜けるような・・・ トルファン 1988年6月 >>