2008年 01月 17日 ( 1 )

中国雲南省カンランパ1989 (1)

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雲南省の最南端にあたる西双版納(シーサンパンナ)は、1989年当時はまだバスでしか行けない土地だった。昆明からバスでまる2日、時には3日。最後の山道を、上り坂になると自転車以下のスピードになってしまうオンボロバスがあえぎあえぎ上り、やっと下り始めたとき眼下に大きく蛇行するメコン川が見えた。あとはその川に向けてひたすら下り、たしか橋を渡ってこのあたりの都である景洪に着いた。
しかしどうやら、このときの景洪の写真は散逸したらしい(笑)。自宅に戻ったらまた探してみます。

当時はこの近辺で行ける村はごく限られていて、その中の一つにカンランパと呼ばれる村があった。この時はまだ道路がなく、船でしか行けなかったような記憶があるのだが、間違っているかもしれない。ともかく私は船で往復した。
船からの景色はだいたい冒頭に掲げた写真のとおり。時おりこういった藁葺き屋根の建物がぽつんぽつんと立っているのが見えるほかは、ただただ緑のジャングルの中を進んでいった。

b0033537_1653112.jpg鉄船のデッキに立つとこんな感じ。水面が思ったよりずっと高い。そして川は思ったよりずっと広い。


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岸辺に近寄って近寄って、人を降ろした直後。やれやれ、といったところだろうか。ここはこのように何となく着岸場という感じがあるが、もっと何もないところで、周囲に見渡すかぎり人家などなさそうなところで、ふと降りて行く人もいた。


b0033537_16581112.jpgカンランパに到着。岸に板を渡しかけ、その上を渡って降りる。かなり怖い。この写真でも緑の服を着た兵隊のような公安のような人が手を取ってあげているが、実際、上と下とで手助けをしてくれないと、落ちる人続出、だったかもしれない。


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左は上陸したところにある市場。岸辺から上へ向かって傾斜する階段道になっていた。この、写っているのは何族だろうか、ジノー族? 
右はミーシェン売りの人。タイ族と思われる。

b0033537_1741129.jpgがんもどき、もしくは揚げ豆腐売りの人。シーサンパンナは日本の食文化の一つのルーツとも言われ、大豆から作る製品は日本とよく似ていた。


b0033537_1753339.jpg左はごく不通の包子(パオズ)。中身は茶色い砂糖を煮溶かしたものだったと思う。そのことを「糖包」と言っていたと思うのだが、いまひとつ自信はない。右は沖縄のサーターアンダギーにも見える、揚げドーナツのようなもの。やはり甘かったが、あっさりしていた。


b0033537_178043.jpg雲南ではこればかり、と言っても過言ではないと思われる軽食のミーシェン。ミーは米の字、シェンは字が変換できない。米から作った生の麺をちゃっちゃっと鍋で茹でて、丼に入れ、スープをかけまわす。このスープが既に辛かったと記憶しているのだが、どうだったろう。土地の人はこの上にさらにどっさりと「ラアジャン」と呼ぶ唐辛子味噌のようなものを載せ、かき回すのだ。スープというような上品なものはないこともあった。ただ単に何かをかけて混ぜて食べる。当然、土地の人は「ラアジャン」である。
当時市場あたりで何かを食べるとなると、ほぼこのレベル。丼はそのへんに積み上げられており、箸は箸立てに無造作に突っ込まれている。その中からよさそうなのを選ぶのだが、いったい何を基準に・・・? まあ、比較的新しそうなものとかを選んでいたと思う。私はいつもミーシェンが手元に来るや否や箸を突っ込んで「気分的消毒」を行っていたが、おそらく、何の意味もなかっただろうと思われる。

当時のカンランパは、招待所が2つあっただけだったと記憶しているが、違うかもしれない。農業局の招待所に泊まったと思う。鉄製のベッドがそっけなく4つ並んだ部屋に、男女別に割り振られて泊まる。トイレや洗面所はまとめて1箇所にあり、不便と言えば不便だが、当時はどこに行ってもそんなものだったので、さして不満もなく泊まった。シャワーはあったが、当然のごとく水だった。そう、当時はそれが当たり前で、誰も不思議になど思わなかったのである。
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by himalaya3 | 2008-01-17 17:34 | 雲南省1989