カテゴリ:雲南省1989( 3 )

沙坪・シャーピン 1989

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雲南省の省都昆明から西へ、当時バスで12時間ほどのところに大理という白族の街がある。今ではこの距離は5時間に短縮されたらしい。高速道路ができ、当時はなかった鉄道も延伸した。
大理は藍染が有名な町で、同時に80年代後半の中国としては珍しく、外人が溜まれる町だった。外人向けのちょっとした食堂のようなものもあったし、土産物屋もちらほらとあり、ここには欧米人も比較的安心して滞在していたように思う。
その大理から湖畔沿いに北へ1時間ほど走ったところに、沙坪という村がある。ここは週に1度、たしか月曜日に市が立つ村で、その日はミニバスが何台か出たと思う。
冒頭の写真は、この市を上から見下ろしたところ。かなり変色していると思うのだが、補正のソフトを今持っていないので、このまま載せておく。何だか絵画のように見える。人々の服装といい、手前にごちゃごちゃあるトラックといい、20年前はこんな感じだったのだなぁ。

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これも市場。
青や赤の袖なしの上着が、白族の女性の民族衣装だが、頭に被るスカーフは、この写真にあるように青一色の人もいれば、カラフルなものの人もいた。年齢や、未婚既婚などの区別があるのだろうか。薄いブルーの上着を着ている人も多く見た。この上着は長袖だったような気がするのだが、またいつか再訪したときの写真で確認したい。
真ん中あたりに写っている赤ちゃんのおんぶ紐(というか何と言えばいいのだろう、おんぶするための背宛のようなもの?)は、きれいに刺繍されている。そういえば大理あたりでもよく、刺繍を売りに来ていたが、あまり上手だとは思わなかった記憶がある。適当なお土産品と、そうでないものとでは、気合の入れ方が違うのだろう。

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大きな木箱(室内で物入れとして使うのだろう)を売っている。向こうに立っている女性たちの中には、漢族風にジャケットを着ている人もいるし、赤い上着の人もいる。いや、よく見ると、ジャケットの人は麦藁帽子をかぶっているので、この人は漢族なのかもしれない。

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暗い写真ですみません。
白い日よけが面白くて撮った写真。

市場に行くと、いつも質素な屋台で質素なミーシェン(米麺)を食べていた。当時1杯5角。店の人は当たり前のようにラージャン(唐辛子を練ったようなもの?)を入れようとするので、私はその瞬間まで「入れるな入れるな」と言い続け、それでも尚入れようとする手を止めさせなければならないので、なかなか緊張する数分なのだった。入れられてしまうと、私のように軟弱な口は、簡単に火を吹いた。
今もあんな、ぶちぶち切れるミーシェンはあるのだろうか。
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by himalaya3 | 2008-02-13 19:31 | 雲南省1989

雲南省西双版納カンランパ1989 (2)

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カンランパ自体は特に何もない町なのだが、対岸に渡し舟で行くことができた。船で向こうに渡ると、バスが待っている(こともある)。このバスに乗ると、30分ほど離れた小さな村に行くことができた。ここが当時開放されていたかどうか、記憶にない。
どの家も同じような形をしていて、南国特有の高床式になっていた。1階部分はたとえば織り機があったり、耕運機があったり、ブタがいたり、ニワトリがいたり。壁のないそこは風がよく抜けるので、景洪の町はずれにあった当時としては珍しいゲストハウスでは、そこは台所と食堂として利用されていた。

b0033537_23144533.jpg村の中を歩いていると、綿糸をつむぐ人に会った。この人だけではなく、時には男性も、同じように紡ぎながら歩いたりしゃがみこんだりしていた。


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ちょっとした広場のある場所に出た。子どもたちが遊んでいる。とても学校とは思えない建物だが、もしかしてと思い、「おーい、ここは学校なんですかー?」と拙い中国語で聞くと、「学校だよー!」と合唱が返ってきた。

b0033537_2319356.jpg女性の先生が2人、ここに住みながら教壇に立っているらしかった。片方の先生は小さな子供連れだ。


b0033537_23214643.jpg突っ立っているのが先生の子ども。ほかの子たちは皆、学校の生徒だ。犬がかわいい。



さて、村に行ったはいいが、帰りのバスはもうない。ぶらぶらと船着場まで歩いていくことにした。ゴム園の様子を見たりしながら、サトウキビ畑とジャングルが交互に続く土の道を、2時間くらいかけて歩いて帰った。なんとか渡し舟の最終便には間に合った。
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by himalaya3 | 2008-01-20 23:27 | 雲南省1989

中国雲南省カンランパ1989 (1)

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雲南省の最南端にあたる西双版納(シーサンパンナ)は、1989年当時はまだバスでしか行けない土地だった。昆明からバスでまる2日、時には3日。最後の山道を、上り坂になると自転車以下のスピードになってしまうオンボロバスがあえぎあえぎ上り、やっと下り始めたとき眼下に大きく蛇行するメコン川が見えた。あとはその川に向けてひたすら下り、たしか橋を渡ってこのあたりの都である景洪に着いた。
しかしどうやら、このときの景洪の写真は散逸したらしい(笑)。自宅に戻ったらまた探してみます。

当時はこの近辺で行ける村はごく限られていて、その中の一つにカンランパと呼ばれる村があった。この時はまだ道路がなく、船でしか行けなかったような記憶があるのだが、間違っているかもしれない。ともかく私は船で往復した。
船からの景色はだいたい冒頭に掲げた写真のとおり。時おりこういった藁葺き屋根の建物がぽつんぽつんと立っているのが見えるほかは、ただただ緑のジャングルの中を進んでいった。

b0033537_1653112.jpg鉄船のデッキに立つとこんな感じ。水面が思ったよりずっと高い。そして川は思ったよりずっと広い。


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岸辺に近寄って近寄って、人を降ろした直後。やれやれ、といったところだろうか。ここはこのように何となく着岸場という感じがあるが、もっと何もないところで、周囲に見渡すかぎり人家などなさそうなところで、ふと降りて行く人もいた。


b0033537_16581112.jpgカンランパに到着。岸に板を渡しかけ、その上を渡って降りる。かなり怖い。この写真でも緑の服を着た兵隊のような公安のような人が手を取ってあげているが、実際、上と下とで手助けをしてくれないと、落ちる人続出、だったかもしれない。


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左は上陸したところにある市場。岸辺から上へ向かって傾斜する階段道になっていた。この、写っているのは何族だろうか、ジノー族? 
右はミーシェン売りの人。タイ族と思われる。

b0033537_1741129.jpgがんもどき、もしくは揚げ豆腐売りの人。シーサンパンナは日本の食文化の一つのルーツとも言われ、大豆から作る製品は日本とよく似ていた。


b0033537_1753339.jpg左はごく不通の包子(パオズ)。中身は茶色い砂糖を煮溶かしたものだったと思う。そのことを「糖包」と言っていたと思うのだが、いまひとつ自信はない。右は沖縄のサーターアンダギーにも見える、揚げドーナツのようなもの。やはり甘かったが、あっさりしていた。


b0033537_178043.jpg雲南ではこればかり、と言っても過言ではないと思われる軽食のミーシェン。ミーは米の字、シェンは字が変換できない。米から作った生の麺をちゃっちゃっと鍋で茹でて、丼に入れ、スープをかけまわす。このスープが既に辛かったと記憶しているのだが、どうだったろう。土地の人はこの上にさらにどっさりと「ラアジャン」と呼ぶ唐辛子味噌のようなものを載せ、かき回すのだ。スープというような上品なものはないこともあった。ただ単に何かをかけて混ぜて食べる。当然、土地の人は「ラアジャン」である。
当時市場あたりで何かを食べるとなると、ほぼこのレベル。丼はそのへんに積み上げられており、箸は箸立てに無造作に突っ込まれている。その中からよさそうなのを選ぶのだが、いったい何を基準に・・・? まあ、比較的新しそうなものとかを選んでいたと思う。私はいつもミーシェンが手元に来るや否や箸を突っ込んで「気分的消毒」を行っていたが、おそらく、何の意味もなかっただろうと思われる。

当時のカンランパは、招待所が2つあっただけだったと記憶しているが、違うかもしれない。農業局の招待所に泊まったと思う。鉄製のベッドがそっけなく4つ並んだ部屋に、男女別に割り振られて泊まる。トイレや洗面所はまとめて1箇所にあり、不便と言えば不便だが、当時はどこに行ってもそんなものだったので、さして不満もなく泊まった。シャワーはあったが、当然のごとく水だった。そう、当時はそれが当たり前で、誰も不思議になど思わなかったのである。
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by himalaya3 | 2008-01-17 17:34 | 雲南省1989