カテゴリ:2009ラオ・中国・ベトナム( 13 )

サパ・山間の少数民族マーケット

カンカウで花モン族のマーケットを見た後、バクハへバスで戻り、チェックアウトして、バスをつかまえ、ラオカイへ向かった。バクハを出たのは12時半頃だったと思うから、順調に行けば3時過ぎにはラオカイに到着し、そのままサパ行きに乗り継げるはずだ。
ところが、乗ったバスが壊れた。
その運転手が電話で呼んだ変なタクシーみたいなバンは、私ともう1人の乗客(女性)を乗せてラオカイへ向かった、のも束の間、ひっきりなしに携帯に入ってくる電話により、あちゃこちゃと寄り道。ラオカイまで2キロ、の表示を見たのも空しく、いっこうに到着しない。あちこち、寄り道。乗せたり降ろしたり。ラオカイに着いたのは、夕方6時過ぎ。サパへの終バスは行った後だ。ベトナム人・・・、一昔前の中国人と同じやなw
乗り合いのバンでサパへ着いたのは、その日の夜8時過ぎ。
土曜日の夜だった。

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選ぶ余裕もなく泊まった宿を一歩出た通りでは、赤ザオ族の女性たちがお土産を売っていた。中国側の金平で出合った紅帽ヤオとごく近い民族だろうと思われる。何せ金平とここは、50キロと離れてはいないはずだ。今のところ第三国人に開放されている国境が河口-ラオカイだから、我々が行き来するには1日がかりだが。


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こちらは黒モン? と赤ザオの人たち。市場の近くだ。



b0033537_17482468.jpg黒モンの人びと。藍が基調でそれほど派手ではない装飾をしている。彼らの黒い帽子みたいなものが気になって、歩き回っていたら、中に入れる竹の筒みたいなものを売っている人がいた。下の写真では、中に筒が入っているのが見えるかと思う。
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b0033537_1751211.jpg市場の食堂。小さな屋台の密集しているところだ。フォーやお粥が食べられる。

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b0033537_17552153.jpg野菜も売っている。市場だから当たり前と言えば当たり前か。



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きのこを買う人たち。男性の民族衣装着用率もけっこう高かった。


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すごい飾り物をかぶった人がいた。これも赤ザオのひとつの支系なのだろうか。よくわからない。


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市場の外、公園の近くでお土産を売っていた人。刺繍ものを買わせてもらった。


b0033537_17584163.jpgこちらはモン族になるのか。大きなベッドカバーに仕立てて売っている。これはタイあたりでもよく見かけるものだ。出所はこのあたりなのかもしれない。


b0033537_17593995.jpg黒モンの2人組み。公園の端に朝から晩までいた。腰に巻く帯のようなものを売ってもらった。


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赤ザオの人。すこし英語が話せて、刺繍の意味など教えてくれた。因みにこの人が着ているこのパンツ、今は私の手元にある。脱いでもらった(笑)。敵もさるもの、ちゃんと下にもう1枚着ていた。


外国人旅行者をがっかりさせないレベルのホテルやレストランがある町に、これだけ多数の少数民族があふれている光景は、ひじょうに不思議だった。彼らはなぜ、民族服を脱ぎ捨てないのか。町と村にはそれほどの隔たりがあるということなのだろうか。言い換えれば、いわゆるベトナム人と山岳少数民族の間には、それほどの経済的格差があるということか。おそらく、イエス、なのだろう。彼らが商売のためにあれを着続けているのだとは思えないから。

サパでは、あまりするつもりのなかった買い物をすることになり、ドンが足りなくなって焦ったが、おそるおそる銀行のATMでキャッシングしてみたら、ドンがざばざば出てきて驚いた。そういう町で、この溢れんばかりの少数民族である。やはり、不思議だ。

この町に来たらトレッキングをする人が多いだろうけれど、私はパスした。タイをスタートしてラオス、中国と回って来たためいい加減くたびれていたし、トレッキングはヒマラヤだけでいいか、と思ってしまった。またいつか機会があれば、ぜひ。

サパの次は、ラオスへ陸路で抜けるため、ディエンビエンフーへ向かう。その話はまた今度。
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by himalaya3 | 2009-12-03 18:15 | 2009ラオ・中国・ベトナム

カンカウ、花モン族のマーケット

ラオカイからバクハまではバスで3時間。距離はないのだが、とにかく荷物の積み込みに時間がかかりすぎる。バスがいちばんいい輸送手段であるかぎり、この状態は続くだろう。かつての中国がまさにそうだったが、今ではバスに荷物を積もうとする人はほとんどなく、荷物による発車遅れやノロノロ運転のイライラからは解放された。ただし、満員になるまで出ようとしないので、別の意味でのイライラは残ったままだ。

バクハで下りたのは私とチェコのカップルと、途中から乗り込んだモンの人たちだけだった。このまま乗り続けたらどこまで行けるのだろう・・・、運転手に聞いてみたが、終点には泊まる場所がないとのこと。バクハで泊まることにする。サオマイ・ホテル、10ドル。ヨーロッパからの団体客で賑わっていた。

バクハのマーケットは日曜日に開かれる。当然バクハにくる人のお目当てはこれなのだが、私はここよりもさらに奥にある「カンカウ」という村で土曜日に開かれるマーケットに行こうとしていた。
当日の朝6時半、町の真ん中にある広場に行き、バクハから来るバスを待つ。来ない・・・・・・。バイクタクシーから声がかかるが、ラオスでコケて以来バイクはちょっと。待ち続けて7時半、ようやくバス到着。出発は8時。
山道をくねくねと走ること小一時間、本当にこのバスはカンカウに行くのか、そのカンカウは私が目指している市の立つカンカウか。そう不安に思い始めた頃、ようやく行く手にそれらしき建物群と人の群れが見えてきた。

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私が乗ってきたバスは、市場の横の道を通過してさらに先へ行こうとしているのだが、人ごみがすごくて立ち往生している。

以下、カンカウ・マーケットの写真をずらっと並べます。コメントは最後に。

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市場の全体像がわかるような写真がなかった、ごめんなさい。

山の斜面に開かれたちょっとした平坦地にトタン張りの小屋やシートで覆った露店、道路に商品を並べただけの店、それらがごちゃ混ぜになっているような場所だった。もちろん住み分けはしているが。
ここは花モン族と呼ばれるモン族の一支系の人びとの市場。周辺にはこの民族が多数暮らしている。もちろん他の民族も少しは混在しているだろうが、少なくともこのマーケットに午前一杯いた範囲内では、明らかに他民族とわかる人は(少なくとも女性は)見なかった。
モン族は中国では苗である。そう、今回の旅でも貴州省あたりで多数出会ったし、何より苗の刺繍を求めて中国へは行ったのだから、その流れとしてこちらの花モン族もどんなにかすばらしい刺繍の服を着ているのだろうか、と、ワクワク気分で出かけたのだが。

残念ながら、私がわくわくするような「よいもの」を身に着けている人は、もういなかった。
中国から流れてくるのか、あるいはベトナムで生産されているのか、化繊の布地、カラフルな飾り用テープ(日本では山道などと呼ばれるようなものも含めて)、刺繍柄をプリントした布地、などが大量に売られており、女性たちはその品定めに忙しかった。彼女たちが身に着けている衣服のほとんどは、こうして今風に飾られたものだった。うまく説明できるか自信がないが、布地を、その表面が見えなくなるほど飾りテープによって埋め尽くしていく、という感じの服が特徴的だった。
ごく僅かに、古い手刺繍の布や藍でロウケツ染めにした古い布なども売っていたが、これが驚くほどの高値だった。タイで購入するよりもずっと高くて、さすがに手が出なかった。よほどよいものがあれば高くてもとは思ったが、それほどまでに心魅かれるものには出会えなかった。

では、カンカウは面白くない場所か、行く意味などない場所か。
そんなことはない。これだけ多数の山岳少数民族が、今もこのフリフリで大ぼったい民族衣装を日常着として着続けている、それだけでもう、とてつもなくすごいことなのである。
それにカンカウは、団体旅行で来る外国人は多いだろうが、個人で訪れる人はまだ少ない。この日も個人でバスに乗ってここを訪ねた外国人は私だけだと思う。きのう一緒だったチェコのカップルは、同じホテルのオーストリアだったかの団体に同乗させてもらったと言っていた。バスもあり、けして行くのが困難なわけではないのだが、まだそれほど有名でもなく、そこまで足を延ばす理由はないと思う人が多いのだろう。

私がわくわくしなかったのは、これはもう職業病としか言いようがないことで、彼らにその責があるわけではまったくない。天然素材や手刺繍でなければ美しいと思えない私が特殊なのである。言っておくが、彼らはまったくもって美しい。それはもう、ほかにどうにも言いようがない。ただ、彼らのその美しい服は、私にとっては・・・・・・これ以上は言いますまい。

さて。
カンカウへ行ったはいいが、帰りもバスに乗らなければならない。さして大きな市場でもなく、買うものもないので、早めに切り上げたのだが、バスが来ない。朝私が乗ったバスが、いい加減引き返してきてもいいだろうと思うのだが、来ない。今日のうちにラオカイへ戻り、そのままバスを乗り継いでサパまで行くつもりなのだが、肝心の、この村を去るバスが来ない・・・・・・。バイタクで来ればよかったと1000回は思った。
待って待って待って、ようやく山道の上の方にバスが見えたときは、いやもうホッとした。市場に着いたのが8時15分頃、待ち始めたのが9時過ぎ、バスが来たのは11時半過ぎだった。
帰りもほぼ40分ほど。この山道はたいへんのどかで、バスに乗っていても楽しい。舗装もされている。
バクハに着いたのは12時15分。チェックアウト時間を過ぎているが、宿まで走って戻り、ザックを部屋から持ち出して「すまんすまん」とカウンターで謝ると、怒りもせずにすんなり見送ってくれた。

バスが来る広場に歩き出すと、私より後にカンカウに着き、先に帰っていたらしいチェコのカップルに声をかけられた。「もう行っちゃうの?」 もう、とは、バクハのマーケットが明日なのに、という意味である。私は今日中にサパまで行きたいんだ、と答えて2人と別れた。なんと忙しい日本人だろうと思われたかも。多分だが、カンカウを見たら、バクハはもう同じなんじゃないかと・・・。もちろんわからないが。もっと価格などがこなれていて、楽しめるマーケットである可能性もなくはない。
宿から広場への道は、カンカウ~ラオカイのメインルートにTの字に合流する。さっき私が乗ったバスが来たばかりなのだから、当分来ないだろう、そのへんでご飯でも食べて、と思いながら歩いていると、左からふらーっとバスが現れ、広場方面へ消えていくのが見えた。なんでっ? と思いつつも条件反射的に走り出し、広場の手前で停まっているのをつかまえて乗り込んだ。すぐに発車。超ラッキー、と言うべきか、腹減ったと言うべきか。

以下続く
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by himalaya3 | 2009-09-29 22:07 | 2009ラオ・中国・ベトナム

ラオカイ・14年ぶりのベトナム

また1ヶ月近く更新せずすみません。こんなことでは、いつこの旅が終わるのか・・・・・・。

中国からベトナムへは、橋を歩いて渡っていく。橋の真ん中が国境か。早くもベトナム観光を終えた中国人たちがたくさん中国に入り、また、菅笠をかぶったベトナムの労働者たちも多数、中国に向けて歩いていた。逆に、ベトナムに向かう人間は多くない。

b0033537_1481145.jpg橋を渡ったところにあるベトナム出入国管理事務所(?)。ここで入国手続きをする。パスポートチェックだけで、ちょっと心配だった帰国用航空券提示も促されず、税関もノーチェックで、無事に入国できた。時間が早いせいか閑散としていた。
イミグレの中に入り込んできている客引きが、うにょうにょと下手な英語でうるさい。中国語しか喋れないと言うと、中国語で返してくるところはさすが。イミグレに銀行はなく、客引きたちが「あっちだ、こっちだ」言うのに散々振り回され、結局、銀行はイミグレの左、道路を渡ったところにあった。


b0033537_1413919.jpgユニオンバンク? なんたら農業銀行、である。ここで手持ちの中国元をベトナムドンに換えた。金平でもっとお金が必要かと思って多めに換えてあったので、元→ドンだけでこの場は大丈夫そうだった。
手持ちの元の束から200元だけよけて、残りをドンに。あ、この200元ですか、これはまたいつ中国に入るかわからないわけで、入国地点に銀行がないこともよくあることなので、まぁこのくらいは持っておくというのがこの際大人の分別というやつかと。3分前にのたまったことなどすぐに忘れる。忘れるから旅が続く(笑)。
さて、元からドンに換えたわけだが、私は昔から算数が得意ではなく、両替レシートを穴が開くほど見つめても、果たしていったい1ドンがいくらなのか、あるいは1円は何ドンなのか、わからない。これがわからなければ物価も何も・・・。両替担当のお兄さんに、「ところで、フォーは1杯いかほどですか」と聞いてみた。「え、これから朝食?」「はぁ、まぁ、そんなとこで」「それなら前の路地を行ったところの店がいいよ、1杯2万ドンだよ」
とのこと。2万ドンか・・・・・・。2万ドン、2万ドン、と。あちこちの物価から考えて、2万ドンが1ドルくらい、ってことかな。お礼を言ってその店に行き、牛肉フォーを食べた。たしかに2万ドン、前払い。テーブルにライムの切ったのが皿に入れて置いてあり、「あー、東南アジアに戻ったんだなぁ」とうれしかった。


b0033537_14164119.jpgバス駅までは変な電気自動車みたいなやつで。早速ぼられた。駅には切符売り場もあるが、買おうとすると「バスの中で買え」とのこと。時刻表には値段も書いてあり、私が行くバクハへは、それによると3万5千ドンだ。しかし運転手に聞くと5万ドンだと言う。出たよ、始まったよ、ベトナムが・・・・・・。
14年間ベトナムに来なかったのは、それこそありとあらゆる場所で足元を見られ、ぼられ、天文学的な数字を吹っかけられ、ほとほと嫌になったからだった。世界で唯一アメリカに負けなかった国、ベトナム。それがなぜだかが、実感できたような気がした。とにかくしたたかで、しつこくて、恥知らず、だったのだ。
また同じことの繰り返しになるのだろうか・・・?


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バス駅構内にいるバス。トラックも何台もいたが、全部が韓国製だった。ベトナムと韓国は、何か特別な関係にあるのだろうか。


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私の乗るバスに、不届きにもオートバイを積載しようとしているやつら。


b0033537_14272110.jpg隣に停まっていたバスに乗っていたかわいい少年。お姉ちゃんもいたのだけど、恥ずかしがって逃げられた。


b0033537_1428890.jpg必死に計算を重ね、ようやく導き出した答えがこれだ。1万ドンは53円。さっきのフォーは106円。うーん、高い、かな・・・。約35バーツと考えると、高い? 安い? 何日かはこの暗ちょこを見ながら、消えたら書き直して、旅は進む。

頭脳線がないですね、とか、生命線が・・・、とかの話はなしね。


b0033537_1430289.jpg発車前のバス。既に後方は荷物で満杯になっている。こんなに荷物が載っているバスを、久々に見た。


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バスは定刻10分遅れで出発。ほっ、まぁこの程度の遅れなら・・・。と思った私が甘かった。
バスは確かにバス駅は出た。しかし、ラオカイの町の中を走り回り、荷物を集め始めたのだ。集荷トラックなのである。あちこちで載せる載せる。いったいこの車の積載重量は・・・、などと考えたらいけない。考えたら怖くてバスになぞ乗れない。


b0033537_1433756.jpgいい加減に走り出せと思うのだが、この必死のおっちゃんを見ると、しょうがないなと思えてくる。ミカンが山盛り入った巨大カゴを、頭で屋根に押し上げようとするおっちゃん。


b0033537_14343679.jpgこれはラオカイから1時間ほど走ったあたりで、荷物と共に乗り込もうとしているモン族の皆さん。


b0033537_14351469.jpgこちらもすごい荷物の量だ。明日のマーケットで売る商品なのだろう。


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バスの中でもう席がなく、通路に積んだ荷物の上にちょこなんと座るモン族の方。
実は席はまだあったのだが、性格悪そうなベトナム人のばばぁが自分のバッグを隣の席に置き、絶対にどかそうとしないし、皆がそこを見ると「後ろへ行きやがれ」と言い放つのだ。ベトナムでも、やっぱり少数民族はダメなのか・・・・・・。


結局、バスは5万ドンだった。たまたま一緒に乗ったチェコからのカップルが、「5万ドンだって言われてるけど、あなたも?」と話しかけてきて、「うん、そう聞いてる。駅には3万5千って書いてあったけど」と言うと、「あぁ、ベトナムだからねぇ」と笑っていた。彼らはサパから来たそうだ。発車後に助手がお金を集めにきたのだが、ほかのベトナム人からも5万ドン取っていたので、しゃあないかと出した。後でわかったのだが、5万ドン出すともう少し先まで行けたらしいけど、まぁいいか。
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by himalaya3 | 2009-06-22 14:55 | 2009ラオ・中国・ベトナム

河口・ベトナム国境の街と中国総括

金平を12時20分発の蒙自行きバスで離れた。マーケットは午前中よりも賑やかで、ちょっと後悔。次にくることがもしあったなら、その時はマーケットの夜も泊まろうと思う。
来た道を忠実になぞりながらバスはひた走る。3時ちょっと過ぎに蛮托の橋のトイレで休憩。運転手に「河口に行くのだけど・・・」と話すと「おう、橋の向こう側で降ろしてやるよ」と気さくに言ってくれた。「ここで降りてあとは歩いて橋渡れ」と言われるかもと思っていたので、よかった。ここまで17元。

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蛮托でバスから降りたところ。写真中央奥へ橋を渡り、右へ折れて、手前と奥の山の間へ入り込んでいくような形で、金平方向である。橋のこちら側、向かっていく方向が昆明方向、河口は後ろだ。
小さな軽バンのような車が数台客待ちをしていた。「35元でいいよ」と言ってきた男がいたが、やめておく。この手の車で長距離を走ると、途中で「もう行かない」とやられることがあるからだ(経験あり)。
乗ってきたバスの運転手は「3時半にバスが来るから、それに乗れよ、うまくやれよー!」と言ってくれていたのだが、それより早くミニバスが走ってきた。手を振って停める。降りる人もいた。河口まで40元、ちょっと高いけど交渉の余地はなさそうだ。おとなしく乗る。

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これが乗ったミニバス。助手席にイ族の女性が乗っていて、その子どもがエンジンルームの上でずっと爆睡していた。
実はこの蛮托、見上げると山の中腹を高速道路が走っている。まだ工事中らしく、昆明から蛮托へくる途中、何度も工事している現場を通った。蛮托を出たバスは、すぐに高速道路の真下に入る。右手には広い川。川岸に一般道路、斜面の上に高速道路、だ。斜面が切り立っていて川との距離がほとんどないので、バスは常に高速の真下を走る感じになる。
そしてこの道が・・・・・・。
とんでもない悪路だった。もはやこれは道路ではない、ただの、何だろう、ただの荒れた地面だ。工事用車両が無数に通り、荒らしまくった跡のなれの果てだ。暑いのに窓を閉め切らないと土ぼこりが容赦ない。窓を閉めたって入ってくるのだ。車内はもうもうと土ぼこりに満ち、4つのタイヤがそれぞれ別々の高度に乗っている状態を維持しながら、無理やり前進する。揺れる、などという次元ではない。はるか昔、西チベットでヒッチしたトラックの荷台と似ている。ほぼ同じか。あの時は揺れるたびにぽんぽんと宙に飛ばされて死ぬ思いをしたから、それよりはましだが。
延々と続く悪路。この道を寝台バスも通るのだろうか。アンビリーバブルだ。
やがて新街という小さな集落を通過したところで、わーお、バスは高速道路に乗った! このまま河口まで突っ走るのか、イェイ!
と思っていたら、南塀というところで降りてしまった。がっかりだ。
しかしここからの下道は、最初のあれよりははるかにマシで耐えられた。河口到着5時40分。蛮托から2時間20分だった。

b0033537_1794318.jpg元陽から河口へのバスに途中から乗った。これがそのバス。


b0033537_1829999.jpg現在の中国側出国地点。立派だ。

b0033537_1711246.jpg手前が現在の国境橋。奥に見えているのが、昔の国境橋、たしか線路もある橋だ。私がこの橋をベトナムから中国へと渡ったのは1995年の6月、もしくは7月初めだった。その時は列車でハノイからラオカイへ、国境まではバイクタクシーの後ろに乗り、この橋を渡って中国に入り、その夜に出る寝台列車で昆明に向かった。
今はもう、昆明~河口間の鉄道も廃止されてしまい、ここを国際列車が通過することは永久にないのだろう。


b0033537_17135673.jpg夕方の国境。もう通過時間は過ぎていたと思う。

b0033537_17141070.jpg中国の出国審査ビル。夕方の写真。


b0033537_1715946.jpg中国側の入出国ゲートのまん前の交差点。看板にベトナム語が混じっている。
b0033537_1715236.jpg右はすこし町中に入った路地のファストフードの看板。四川風味のぶっかけ飯が7元。


b0033537_1717957.jpg町で最先端をいっていると思われる一角。ぱっと見た感じ、非常に都会的である。若者が好みそうなジーンズやシャツなどを売っていた。


河口にはたくさんのホテルがある。国境ゲート近くにはいわゆる旅社・招待所クラスもたくさんあるし、バス駅の周辺には高級ホテルも軒を連ねている。中国最後の一夜、バス駅近くの賓館がキャンペーン中で、通常150元のシングル部屋に70元で泊まれると言われたので、ここに決める。いわゆるちゃんとしたホテルだ。床はカーペットだし、ベッドのほかに小さいテーブルと椅子もある。日本のビジネスよりちょっと上、という感じだった。熱いお湯も豊富に出てうれしかった。
最後の食事は路地にテーブルを出していた小さな小さな食堂で。積んである野菜の中から選んで、トマト卵スープとご飯、それにきゅうりと肉の炒め物を作ってもらう。小学生の女の子が美しい普通語を話し、帰るときには親に促されて「サンキュー、グッドナイト!」と英語で挨拶してくれた。

b0033537_17195849.jpg朝、国境に向かっていると大量のミカンを積み上げた場所があった。これからベトナムへ輸出されていくのだろうか。それとも逆なのか。経済力としては中国のほうが上だろうから、物はベトナムから中国へ流れそうな気もするが、高くてもいいものがほしければその逆もありなのだろうな。


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朝早く、まだ8時の国境であるが、すでにベトナムから帰国したと思われる中国人団体がわんさか入国の列に並んでいた。おそらく、ハノイからの夜行列車で着いてそのまま国境を越えてきたのだろう。



さてさて。
今回の中国は、2000年に四川~甘粛~青海~チベットと旅して以来、8年ちょっとぶりの訪問だった。あ、去年2日だけラオスからモンラーに入国して帰ったのはあるが、これは省略していいだろう。
その間に中国の経済は大躍進を遂げた。かつては捏造数字大国であったが、今では国内的にはともかくとして、世界もその力を認めざるをえない、ほんものの大躍進を遂げたのだ。昨年は北京オリンピックもあり、様々な問題がありながらも、一応は成功させた。大きな地震に見舞われたが、それも何とか国の力で回復させつつあるようだ。
今回、雲南から広西、貴州、また雲南と旅をした。昆明と桂林、凱里を除いては大きな町は訪ねず、あまり外国人も訪れない、見るべきものもさしてないエリアを動いた。いや、見るべきものはあるのだろうが、外国人が好むものとはちょっと違うというか。例えば同じ雲南でも大理や麗江に向かうルートとは、ツーリストの数は100倍あるいはもっと、開きがあるのではないかと思えてしまう。
そんな、言わば改革開放に乗り遅れた感の強いエリアを旅したのだが、ひとことで言えば、中国、見てくれは少し変わったけれど、なんも変わってない! という感想を持った。町並みは少しずつ変わっている。走るバスも変化した。昔ほどひどいバスはもう走っていないし、数もうんと増えてようやく需要に見合う供給に近づきつつあるのではないか、それを証拠にバス駅でも列車駅でも、かつてのような無法な振る舞いはあまり見かけなくなった。
それでも、「厳禁吸煙」と大書されたバスの中で、運転手筆頭に男は全員、煙草を吸う。相変わらず痰をそこいら中にまき散らす(ただし都会では若干その比率が下がった)。相変わらずゴミは自分の手元から去ればいいだけなので、車内でも駅でも足元はゴミ溜めである。便器以外の場所で用を足すのも相変わらず、子どもは道路でもどこででも小も大もするのも相変わらず。大声でわめき散らし、隙を見せれば何人もがハイエナのように群がって来、マナーだ道徳だなんていうものは端から持ち合わせておらず、傍若無人で我儘勝手。
そうなのだ、つまり、何一つ変わっちゃいないのである。
それなのに、物価だけは高騰した。
供給が増えた、その一点で旅は昔よりはしやすくなったと思う。だけど、それだけなのだ。登場してくる中国人たちは、まるで変わらない。昔、『粗にして野だが卑ではない』という本があったが、それに倣えば、祖にして野にして卑、なのである(それなのに物価は高いのだ・笑)。

昔、そう、20年前であったなら、粗にして野にして卑な人民たちであっても、どこかで「それもしょうがないな」と思わせるものがあった。国全体が、そうでなければ生きられないのだと私をして納得させるほどに、モノはなくカネもなく・・・、だったからだし、貧しさの共有、みんな同じようなもん、といった空気が社会にあって、それゆえに人は今よりは大らかだったと思う。粗で野で卑だけど、だけどだけどだけど! という何かがあった、それを言葉で説明するのはすごく難しいのだが、あれは何だったのだろう、そう、つまり、あの頃の中国は、社会主義国だったのだ。まぎれもなく。だから許容できた、納得するしかない、と思えたのか。どうしようもない、誰にも動かしようのない壁があって、それがつまり国の体制というもので、その壁の手前で私も人民たちも同じように日々うごめき、怒り、無駄に手足を振り回していた、のだ。その意味では、どこかで彼らに対する「一緒だもんな」という意識を、持ちえていたのかもしれない。もちろん当時だって中国ではいつもいつも怒っていたのだけれど。
今の中国は社会主義国ではない。ニセモノの社会主義というか、新社会主義、一党支配だけど資本主義、という矛盾した体制。社会の末端はまるっきり、剥き出しの資本主義である。変わっていい、変わることがもう許されている、現に上海や北京はどんどん変わっていく、それなのに、「どうしてアンタたちはダメなんだよ、変われないんだよ!」という歯がゆさや、直裁に言えば怒りみたいなもんがある。どうしてだよ、どうしてだよ! と思ってしまうのだ。あるいはその変化というものが、あくまで金集めに狂奔しとりあえず集めた金でマンションを買い車を買い服を買い、豪奢に暮らすという方向には向かうのだが、文化や教養といったもの、公共道徳やマナーといったもの、これに関してはあまり目立つ変化がない、ということへの苛立ちなのかもしれない。
もう、金輪際、この国には足を踏み入れたくないと、何度思ったことか。何をそんなに怒っていたのか、幻滅していたのか、旅から数ヶ月過ぎるともうよくわからないのだが、それでも何度もそう思ったことだけは確かだ。もう、うんざりだった。見なくてもいい景色なら、見ずにすませたい。わざわざ汚いものを見に行って、疲れ果てるなんてばかげている。それにもう、自分が見たいものはこの国にはないのかもしれない。もういい、もう中国はいい。もう十分旅した。
致命的なトラブルというのは思いつかない。そんなものはこの旅にはなかった。だけど小さなこと、毎日毎日この国で生きている限り目にするありとあるものが、自分には許容できず、それがボディブローのように効いてしまった、のだろうと思う。
いつかこの国の人間の9割が、「公共の場で痰を吐くのはよくないことだ」と思い、また、「人前で鼻の穴に指を突っ込むのは恥ずかしい」と思い、「トイレでは便器で用を足して流さなきゃね」と思うようになる日が来たら、そのときには行ってやってもいい。来てくれなんて言われてもいないのにえらい暴言だが、中国にいるときの私の本心といったら、まぁ、こんなようなものだった。

国境を渡ったら、いま持っている中国元は全部ベトナム・ドンに変えてやる! なぜなら、私はもう二度と、中国には来ないのだから。元なんて用はないのだから。河口のホテルで、国境を流れる川を眺めながら、私はそう固く決意した。長きに渡って彷徨った中国だが、もうお別れだ。それでいいだろう? と自分に聞くと、自分は何の迷いも見せずに「イエス!」と答えた。

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橋の向こうはベトナム、ラオカイだ。
いざ行かん、14年ぶりのベトナムへ。さらば中国、二度と来ねぇぞ!


※中国、中国の人に対するひどい言葉の数々、ごめんなさい。何もかも、わたくしという人間の懐の浅さであり、器の小ささがもたらす拒絶反応であります。嫌なら行くな、その言葉の通りであります。反省します。
中国、これほどまでに大っ嫌いでありながら、その反面、どうしようもなく好きな国は、私にはほかにありません。
どうかお目こぼしをお願いいたします・・・・・・。
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by himalaya3 | 2009-05-28 18:41 | 2009ラオ・中国・ベトナム

金平・少数民族のバザール

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この紅い頭巾の人びとに会いたくて、2年越しで到着した金平。これは定期市でない日の市場の奥。おばあさんが孫を連れて買い物していた。

去年もここ金平へ行こうとして、市のスケジュールも完璧に調べてラオスから中国に入ったのだが、いろいろとあってたどり着かなかった。その時は、国境沿いにバスで最短距離を行こうとしたのが、おそらく失敗だったのだろうと思う。いや、普通の旅人ならオーケーだろうと思う。たまたま腰が悪い自分が無理な長距離移動を試みたからダメだったのだ。

今年は昆明から金平への直通バスを使うことになった。途中の元陽あたりも寄りたい場所ではあったが、残念ながら市のスケジュールが私の日程とはまったく合わず、それなら一気に金平まで入ってしまおうという気になった。この時点ですこし風邪を引きかけており、腰にも疲れがたまっていた。
昆明のバス駅はいくつもあり、そのどこででも金平行きがあるのかどうか、調べていないのでわからない。私が乗ったのは、昆明駅から北、昆湖飯店方向へすこし歩いた左側にあるバス駅だ。因みに昆湖飯店は昔のドミはなくなり、80元のトイレなし部屋があった。
このバス駅からの金平行きは一日三本。窓口で「一番いいバス」と聞くと、朝10時に出るバスだという。残り2本は寝台バスだ。服務員を信じて昼間のバスに乗ることにした。

昆明から石林までは高速道路で信じられないくらい快適な道。しかし石林からは一般道しかなく、片側1車線のごく普通の国道を進む。驚いたことに、広州から昆明へのバスはこのルートを来るらしく、何十台もすれ違った。途中の弥勒は巨大マンション郡の建設工事に驚き、開遠は町のあまりの巨大ぶりに目を見張った。ここで運転手交代。呆れるほどに喋り捲る運転手だったのでほっとした。アジアは「喋る運転手」に悩まされることが多いが、それにしてもこんなにパワー全開でまるで芸人のように喋り倒した運転手は他にいない。
この開遠から箇旧のあたりは標高が低いのか非常に暑く、道端でもさとうきび、みかん、びわ、バナナ、パイナップルを売る露店が目立った。
元陽への道を右手に見送り、道路の行く先表示は「河口」一つに絞られる。時折ひどく悪くなる道路を、ともかくひたすらに南下していく。大きな谷の左岸をひたすら下っていく。
やがて蛮托という小さな集落に着き、ここで直進する河口への道と分かれ、今まで下ってきた谷を対岸に渡る。渡ったところで二度目の休憩、午後4時40分。

対岸を引き返しながら進み、やがて支流に入っていく。ここからがとんでもない山道の連続。ひたすら沢を詰めては渡って引き返すことの繰り返し。吐いてる人多数。
うんざりするくらい時間がかかる。ひたすら登っていく。寒くなってくる。やがて山を乗り越したあたりが阿得博、大賽という場所もあった。農業は~に学べ、という標語を思い出した。ここではないが。
しばらく行くと、水牛を追っている紅頭ヤオ族を見かけた。初めて見た。
さらに行くと、毛皮のようなものを背負った人々を見た。原始人だ。
さらに行くと、集落の片隅で集まって刺繍をしている紅頭ヤオ族を見た。売ってくれ!
夕陽はとっくに山に沈み、あたりは暗くなってきた。道はバスがすれ違うわけにはいかないほどの狭い山道。トイレ休憩からこちら、通過するのは小さな集落ばかり。この先に本当に金平などという町があるのだろうか? と不安になってくる。あるにはあっても、宿もない、今通過しつつあるような小さな集落だったらどうしたらいいのだろう。宿があるという情報はどこかで見たような気がするし、そもそもバスが日に3台も行く町なのだと思ってはみても、それにしても山道が寂しすぎる。この先に大きな町があるなどとは、とても思えない。
そして、バスはあえぎながら最後の峠を越えた。あとは下っていくらしい。と、遠くに大きな町が見えてきた。金平、こんなあほみたいな山道の先に、なぜこんな町があるのか。
金平バス駅着、午後7時ジャスト。もう暗い。昆明から9時間かかった。
バス駅付属の宿に泊まることにする。1泊50元のところ交渉して35元にしてもらう。夕飯は駅の広場に出ていたミーシェン屋で。1杯7元だった。

翌日、バス駅の服務員に市の情報をいろいろ教えてもらった。「ときどきカメラを持った日本人が来るわ」と言っていた。「ふーん」と答えると、「祖先の写真を撮りに来るのよね」と言う。「え?」と聞き返すと、向こうが驚いたように、「え、知らないの? あなたたちの祖先はハニ族なんでしょ、だからここまで来るんでしょ?」とのこと。うーん、そういう話を聞いたことがあるようなないような・・・。照葉樹林帯がどうたらこうたら・・・。忘れたなぁ、なんもかんも。
それはともかく、この時期はもう農作業が始まっているので、朝行かないとだめよ、とのことだった。

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普通の日の町の中。左は市内循環バス駅近くのさとうきび露店。いつも賑わっていた。右は私が泊まったバス駅から市の開かれる場所に向かってゆるゆると登っていく道の様子。町は斜面に広がっており、どこからどこまでなのか、よくわからなかった。


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左は別のバス駅。金平には私が知るだけで2つのバス駅があった。どちらもちゃんとしたバス駅で、昆明行きもどちらからもバンバン出ている。
右はバス駅ホテルから撮った裏側の様子。マンションやらいろいろ建設中。マンションは、窓も何もないがらんの状態で購入し、それから窓とか鉄格子とかつけるらしい。まるで建設途中で放り出されているかに見えるこの右手のマンションも、ちゃんと住んでいる人がいるから不思議だった。

市は6日に一度。
この日を逃すと残念だが、近くでは毎日どこかで市が開かれている。スケジュールはバス駅や宿の人に聞けばわかるはず。私の場合は2日待って金平一つに絞った。腰が悪いので・・・。
さて、いよいよ市の日だ。朝から賑わっている・・・、と言いたいところだが、朝はそれほどでもなかった。それでも8時過ぎるとだんだん人が増えてきて、金中農貿市場は賑やかになってきた。カゴを背負ったハニやヤオの人もたくさん歩いている。楽しい。

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生きたニワトリを売っている。中国では当たり前の光景だ。
右は市の日の市場で、最初に撮らせてもらった紅頭ヤオ族の人。野菜を売っていた。1束1元。後で娘さんに聞くと、おん年90歳だそうだ。


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左はハニ族の人たち。藍染めの布を売っていた。自分たちの服や帽子にするための布だろう。多くのハニの人びとが物色していた。私も布を1巻買い、撮らせてもらった。藍染めのようだが、藍色ではなく、茶が強く出ている。ばいせんによる色なのか、それとも・・・? あるいは藍ではなく、はじめから茶に染めるためにまったく別の染料を使っているのかもしれない。このあたりはハニの人びとと言葉が通じずよくわからなかった。
右は糸を売っている店。木綿のかせを売っている。これを織って布にするのだ。大勢のハニ、ヤオの人びとがここでも品定めに夢中だった。


b0033537_16331276.jpgうぉお、この人たちに会いにはるばるやって来たのだよ。紅頭ヤオ族、近年お会いした中国の少数民族の中では、並外れて美しく着飾る人びとだ。


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我慢できず、布をまた1反買って写真を撮らせてもらった。スキンヘッドにかぶる紅い頭巾も売っていて、やり方も教わったが、とても複雑だった。この女性の頭巾の中には、ちゃーんと芯が入っている。


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照れるオバチャン(などと言いつつ私より年下だと思われ)にくるっと回ってもらった。それにしても美しい。刺繍は残念ながらだいぶ粗くなってきているが・・・。


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毛皮を背負った原始の人、いえ、ハニ族の方発見! 後ろから失礼して写させてもらう。
右は別の場所で撮ったこちらも毛皮を背負うハニの方。豚を囲んで何人かで談笑中だった。


b0033537_16404921.jpgこれは苗族だろう。さとうきびを品定めしていた。



たくさんの布を見せてもらい、刺繍した衣服なども見られてとても楽しかった。でも中国は、物価が上がりすぎた。たとえば刺繍したズボンが300元と言われると、4500円強なのである。いや、金額が高いのではない。金額に見合う品質ではない、ということが言いたいだけだ。
非常に残念なことなのだが、少数民族の人びともそれなりに飾ってはいるのだけれど、昔のような手の込んだ装飾ができているわけではない。昔であれば、手織りの木綿に絹または綿の色糸で細かな刺繍をしていたのだろう。けれど今は、化繊のクロスステッチ用の粗いガサガサした布に、蛍光色の毛糸で刺繍してしまう。出来上がるものは遠目にはとても綺麗で魅かれるのだけれど、近くで見ると「うーん」と思わざるを得ない、粗くて稚拙なものになってしまう。
苗族にいたっては、刺繍ではなく、刺繍柄のプリントのスカートでもう満足しているようだ。

人のことを言えた義理ではない、というのはもちろん、重々承知の上である。私たち日本人も、きものを捨てた。せめて何とかしてきものを着てもらおうと、二部式を編み出してみたり、汚れても大丈夫な化繊のものを作ってみたり、手縫いをやめてミシンに切り替えたり、様々な工夫を凝らしている。自分の衣服のために、それほどの手間隙をかけられる時代ではない。
それと同じことが中国の辺境でも起きている。もう刺繍や装飾に昔ほどの時間も情熱もかけられない。仕事も忙しいだろう。今の中国では、お金がないのは死んでいることと同じだ、とよく聞いた。男も女も現金を手に入れることに忙しい。刺繍なんて、たしかに、してはいられないだろうな・・・・・・。
そういえば、くる途中の山道で、民族衣装のまま急斜面を伐採した無理やりの畑にしがみつくようにして、苗木(形から考えておそらくパパイヤだろうと思う)を植えている少数民族をたくさん見かけた。ある場所ではそれはハニ族であったし、ヤオ族もタイ族もミャオ族もいた。
それでも、形を少々変えても、まだこの民族衣装を守っているのはすごいことなのかもしれない。

満足した部分と、何か足りないと思う気持ちと、両方を抱えて金平を後にした。
バス駅からは市場を通ってから町を出て行くことになる。私が立ち去ってから1時間ほど経った車窓から見下ろす市場は、さっきよりも格段に賑やかになっているように見えた。うわっ、残念。と思いながら、いや、残念だまた来たいと思うから旅は続くのだと思ったり。そうして来たときと同じ山道を、ずんずん進んでいった。


※表示がずれてしまうかもしれません。お知らせいただけるとたすかります。
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by himalaya3 | 2009-05-07 17:09 | 2009ラオ・中国・ベトナム

凱里・貴州省 2009旅日記の7

西江も苗族の村だったが、次に向かう凱里も別の意味で苗族の街である。
凱里は都市なので漢族も多いし他の民族も混じっているので、西江ほどの際立った苗の街ではない。別の意味で、というのは、凱里というのがこの近辺で最大の都市であるため、近郊の苗族たちの文物がここに集まってくるだろうという意味だ。

中国のこの地域に暮らす苗族は、すばらしい刺繍の文化を持っている。この人々の刺繍の美しさときたら、それはもう、他に類を見ないと断言できる。もちろん、いいものは、である。昔も今も駄物はいくらでもある。
もう何年も前に、バンコクのとある場所で中国から流出した苗の刺繍布を見たことがある。大げさではなく、鳥肌が立った。インドのカンタもいいけれど、これはまた別物だ。欲しかったが、当時確か10万円ほどだったと思う。まだ駆け出しの布屋だった私には、1枚の布に払う金額としていささか大きすぎた。仕入旅の終盤で、資金が尽きかけていたというのもあったか。ともかく買わなかった。今も夢に見る。後悔する。二度と出会えないし、私の手元にやってくることは絶対にないだろう。ああ・・・。

そのようなこともあり、一度中国のこの地域には行っておかなければと思っていた。
正直に言うと、いいものはもうないだろう、と覚悟していた。良品はすべて国外または国内のコレクターによって持ち出されており、現場には残っていないだろう。それでも、それを確認するためだけにでも、行きたかった。

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ここがそういった刺繍などを売る露天商が集まる市場。市内からタクシーですぐだった。そんなに賑わっているわけではない。土曜日だったからかもしれない。


b0033537_17311986.jpg閑散とした市場で半ば呆然としていると、おじさんに誘われた。「ウチに来ないか、たくさん刺繍を持っているよ」。そんなに怪しい感じではなかったので、ついていくと、寂れたアパートの一室に連れて行かれた。そこで刺繍をしていたおじさんの奥さん。西江鎮の出身だそうで、ということはその地の刺繍をしているのだろうと思われる。残念ながらおじさんは「たくさん」は持っていたが、「駄物ばかりたくさん」であったので、何も買えなかった。


b0033537_1734293.jpg市場に戻って、それでも何か探したいなとがんばって見つけた刺繍がこれ。この男性はほかの売り子たちに囲まれて、すっかり「さらし者」状態、ちとかわいそうであった。値段交渉から何から、とにかく全員が取り囲んで圧力をかけてくる。というのは冗談だが、値段も何も全員に筒抜けなのは確かだった。


バイヤーとしてはともかく、旅行者としては、楽しい市場だと思った。古いものもたくさんある。苗の刺繍だけではないかもしれない、ちょっとよくわからなかったが、いわゆる骨董の類もいろいろと売っていた。銀の装飾品も有名で腕輪やネックレスなどたくさんあった。アクセサリーが好きな人なら楽しめるかな。刺繍系で旅行者が買うなら、かわいい子供用の帽子とか、刺繍してある布靴とか、になるだろうか? あるいは壁掛けなどにできそうな、一点ものもいいのかもしれない。値段は・・・・・・、行って見てのお楽しみということで。多少は交渉したほうがいいかと思う。
凱里からは例の観光地・西江も1時間ちょっとの距離だし、ほかにも台江、施洞など有名な刺繍の村も日帰りの距離にある。わざわざそのためだけにここに来る人は稀だろうけれど、貴州の観光といえばまず凱里ははずせないだろう。因みに、1つくらい有用な情報を。この文物市場は、金曜から日曜の三日間開催されている。近く場所が移るよ、と店を出している人から聞いたが、はっきりとは決まっていないそうだ。


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凱里の中心からは少し離れるが、それでも賑やかなエリアの様子。昆明ほど驚くような近代都市ではなく、西江のようなオモチャのような作り物の町とも違う。なんだか好感の持てる街だった。
右は泊まったところ。この街も、「賓館」以上でないと外国人は泊まれなくなっている。数年前までは大丈夫だったようなのだが。今はパスポートチェックも厳しい。

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小奇麗でおいしかったので通った「理想麺食店」。普通の麺類が5元からだった。安価なファストフードといった感じ。
右は路上で座り込むトウガラシ売り。貴州省も辛いもの好きな省である。


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凱里を離れるキップを買いに駅に行くと、すごいことになっていた。この前に、町の中にある列車のキップ売り場にも行ったのだが、長蛇の列であきらめたところだった。春節はもう終わりに近いのに・・・


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さらにわかりやすいサービス写真。行列もすごいが、並んでいる人と人の密着度がまたすごいんだ、中国は。こんなにくっついていて、よく大丈夫だなぁといつも思う。
上の写真も一緒に見てみると、行列の前の方に青い大きなテントがけの部分が見える。ここが特設キップ売り場。「全力で皆さまの春節帰省を支援いたします!」的な横断幕が貼られていた。この並んでいるのは全員がキップを買いに来ている人たちだが、この分では私は列車に乗れそうもない・・・・・・。

と思ったのだが、警備についていた解放軍の兵隊によると、「中に行けば買えるんじゃない?」とのこと。半信半疑で駅の中に行ってみて、ためしに聞いてみたらキップがあった。さっぱりわけがわからない。
まぁ、春節の終わりで人々が帰るといえば、ほとんどが沿海部に向けて帰るのだろうから、私は逆方向ということでキップがあったのかも。因みに買ったのは翌日の寝台だ。昆明行き、208元。

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上海からやってきた昆明行き。途中から乗るわけだ。寝台は、寝具も何も前の乗客がぐちゃぐちゃにしていったっきりで、交換とかそういうことは「ありえない」。向かい合わせの6人分、すべてこの駅までに乗客が降りており、全員ここから乗り込んだ。昆明まで1晩、14時間ほどの移動になる。
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by himalaya3 | 2009-03-21 18:03 | 2009ラオ・中国・ベトナム

千戸苗賽・西江 2009の旅の6

榕江の天下第一トン賽に打ちのめされた私は、最後にもう一度きなこ餅を食べて、昼過ぎにこの町を後にした。次に目指すは西江という村。静かな苗族の村、のはずである。何でも山間の斜面に広がる素朴な村で、そこには100年も200年も前のままの暮らしや時間の流れがあるのだそうだ。
西江に直接行く事はできないので、凱里行きに乗って雷山というところで途中下車する。この雷山まで128キロ。舗装はされているが細いくねくねの山道である。
昔の中国の公共バスは、2時間おきくらいにはトイレ休憩をしながら進んでいったと記憶しているが、最近はどうも違うようだ。あくまで運転手の気分次第というか。この日もまったく停まらずに100キロ以上走り、残り20キロを切ってからトイレ休憩があった。いつものことで慣れっこではあるけれど、すごいトイレだ・・・。私の親なんかを連れてきたら怒り出すだろうな、と思う。
さて、バスは雷山に入った。すさまじくえげつない街であった。
小さな川を挟んだ両側に、少数民族風味の新しい3階建てくらいのビルを建てまくっている。多分ここは、来年には巨大お土産屋さん街と化すのだろう。もちろん経営者は全員漢族だ。
それはともかく、バスは目抜き通りっぽいところで2人の客を降ろした。私も下りたほうがいいかと思ってそわそわすると、横に座っていた人が「まだ着かないからー」と言う。その声に振り向いた運転手も私の顔を見て、「まだだから座ってな」と言う。バス駅は町はずれにあって、きっとそこに入るのだろうな。
しかし、ずいぶん町はずれにあるんだなぁ、ほんとに町はずれに。
・・・・・・、っておい、街出ちゃったじゃないか、いくらなんでもおかしいだろ!
「停まって停まって!」
叫ぶとバスは停まった。運転手に「雷山のバス駅に行くんじゃないの?」と聞くと、「え、あんた凱里へ行くんじゃないの?」ときました。
「違うよ、キップだって見せたじゃん」
「ともかく降りて」
「降りてって、ここからどうやって引き返すんだよー」
「うーん、わからないけど・・・・・・」
ともかく降り、ザックがボディに入れてあったのを運転手に出してもらいつつ憤然と立っていると、
「ここで降りるってことは西江へ行くの?」
「そう」
「西江はいいとこだ、すごく有名な観光地だよ、ここから30キロ」
「あ、そう」
「あんた日本人だろ、中国語うまいねぇ、聞くのも話すのもうまいっ!」
その手にゃのらねぇ。あたしの中国語なんざうまかねぇ。
するとそこに、ウソのようにタクシーが通りかかる。取りあえず止めなきゃ、とそっちに走って交渉している間に、バスはすたこらさっさと逃げていきましたー・・・・・・。

そんなこんなで、雷山から西江へ向かうバスが発車したのは、夕方5時近かったかな。わずか32キロ、1時間もあれば着くはずが、これまた細い山道をとことこ走る上、途中で乗客の買い物を待ったり(またこれが生きた鶏だったりする)、いろいろしていたおかげで、途中で日が暮れた。すっかり暗くなった山道を登り、尾根を乗り越えたところで、前の方にいた中国人観光客から「わーっ」という歓声が。何ごとかと反対側の窓を見ると、そこには斜面に点在する温かなオレンジ色の光が。あれが西江なのか・・・。

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最初に見たときのイメージはこんな感じだった。光が強すぎるとは思ったが、それなりにきれいだったし、たどりついた夕間暮れに見たので感激もした。


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近づくとこんなケバいことになっていて、言葉を失う。つまりこれが、This is China ということだ。


最初に聞いた宿は20元。遠い昔、ネパールの山小屋がこんなであった、という感じの超狭い部屋に無理やり板作りのベッド、列車の寝台よりはましだけどというくらいの代物が入っている。トイレもシャワーももちろん外である。これで20元というのは、いくらなんでもボリすぎである。
さらにさがして歩いていくと、こんな宿が。ここは40元だが室内に一応ちゃんとしたベッドがあり、トイレシャワーも付いており、テレビもある。なんとwifi という無線LAN もあるそうな。
b0033537_20454427.jpgこれがこの日の宿。「有家ゲストハウス」だそうだ。こじゃれた造りになっており、中もすっかりこじゃれていた。カフェっぽくなってるのだ。部屋は2階と3階。清潔でシャワーもガンガン出てよかったが、一つ難点が。室内とバスルームを仕切る壁が、全面ガラスなのである。カップルならいいかもしれないけど、それにしてもどうなのよ。
ここにはバスで一緒だった上海からの観光客も来ていて、私を日本人だと知ると、「中国へ、西江へようこそ!」と満面の笑顔で言われた。この台詞、流行ってるのかな? まぁこの人たちは英語で言ってくれたけど。

食事に出かけて一軒の食堂に入ると、メニューはない。適当に言って作ってもらう方式。炒め物の値段を聞くと20元と言うので、そんなに食べられないからと言って15元に下げてもらい、スープが7元ということで手を打ち、食事をした。清算の時にいくらか聞くと「30元」とすまして言う。30元ってあんた・・・。おかずとスープで22元だ、残り8元が飯だっていうのか? 小さい茶碗1敗の米飯が8元か? いい加減にせえよ。結局24元ということになったが、いやもう、腐ってると思った。

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翌朝の町並み。明らかに新しく作った町、メインストリートだ。と思うのだが、どうだろう。山の中に突然出現する村に、こんな広いストリートは必要なかったはずだと思うのだが。もし昔からこうだったのなら、それは私の完全な勘違いである。
建物は移築したのだろうか、それとも新しく作って古く見せているのだろうか、私にはわからななかった。


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斜面の上の方にあるのが、おそらく、昔からの村なのだろうと思われる。でもそちらも新築ラッシュ、建て替えラッシュ。たぶん、これは推測だけれど、政府が大規模に補助金を出して建て替えさせているのではないだろうか。きれいな苗族の村、ということで、西江はいま、世界遺産登録申請を出しているのだそうだ。

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町の中心を少しはずれたところで、ちょっとした食べ物を売っている人々がいた。苗族の人たちだ。
右がきなこ餅(ただしきなこは餅の中に入っている)を買った店。けなげな少女が店番をしていて、途中から弟だろうか、手伝いにやってきた。なかなか感心な姉弟ではないか、こうして一家の暮らしの一部を担っているのだなぁ・・・・・・。
と思いつつ、いくらか聞くと、3元だという。
こらーっ、どこをどう押すと、これが3元だっつう台詞が出てくるんだ? 榕江じゃこの倍の大きさの餅が1元だぞ、3元って、どういうことだよ、まったくとんでもないガキどもだ。まじで腐ってる。
(最初に確認しなかった自分が悪いのです、それはよーくわかっているし、あくまで観光地値段ということで何もかも高めなのだろうとも、わかっちゃいるのですが・・・)


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左は漢方薬を売る露店。
右は町の下の方にあった市場のようなもの。あまり賑わってはいなかった。


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馬がかわいかった。
右は種屋の看板。メインストリートに面した店はすべて同じ看板で統一されていた。素敵だけどね、いいとは思うけどね、なんかちょっと違うような気もするんだ・・・・・・。


b0033537_214013.jpg町の真ん中に作られていた広場の隅で、観光用の貸衣装屋が店開きの最中だった。この広場はおそらく観光シーズンには毎日毎晩歌と踊りのショーが繰り広げられるのだろうと思われる。振り向いたおばさんに発見された私は、この後1分ほどこの衣装をつけて写真を撮れ、それが嫌ならせめてかぶりものだけでも、と迫られて困った。

b0033537_2141493.jpgこれはただのとうもろこし。これも風味作りの飾りの一種に思えてきた。


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西江バスターミナル。トイレ完備。
雷山と凱里に行くバスがここに来る。時刻表はなかった。適当に客が集まったら行く。適当である。
私が乗った凱里行きのバスには北京からのクソ学生が4人いて、態度がでかくて気分が悪かった。鍋釜でも入ってるのか、と思うようなデカいザックに銀マットまでこれ見よがしにくくりつけている。昔陸サーファーというのがいたが、こいつらはきっと街アウトドア・パッカーなのだろう。

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西江観光村を一歩出たところの風景。これを撮っている私の背中にバスターミナルがある。まぁ、ただの広場だが。


新しく作られたメインストリート街から見上げると、斜面に広がる村のあちこちで新築工事の真っ最中だった。本当にどこもかしこも新しく家を建てている。もちろん苗族風味の建物ではあるが、なぜ新しくする必要があるのか、疑問だった。
西江は世界遺産登録をめざしている。だから通りを整備し、完璧な苗族風味の町を仕立て上げ、美しい装飾看板で統一する。家々の軒には強い光を放つ電球を取り付けて、夜も美しい景観を作り上げる。
たぶん、お手本にしているのは麗江あたりではないか。あそこは多分、今はこんな感じになっているのだろう。完全な少数民族風味の街に。
中国は突き進む。彼らは迷ったり考えたりしない。そんな時間があったら古いものをぶっ壊して新しくきれいなものを作ろうとする。
それが中国なんだよな・・・・・・。
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by himalaya3 | 2009-03-20 21:30 | 2009ラオ・中国・ベトナム

スキンが・・・

遊んでいたらスキン(体裁)が変わってしまい、前のスキンが見つからず・・・。
そんなに数ないのに、おかしいなぁ、どうしてだろ。
このスキンだと画面横幅がたくさんあっても写真がずれて表示されるかもしれません。
たいへん申し訳なく・・・。
そのうちにまた直したいと思います。
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by himalaya3 | 2009-03-17 01:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム

榕江 餅を食べる人々

従江から榕江へもバスで移動。ちょうど従江のバス駅に行くと発車間際のバスがあり、キップはいいから乗れ、ということで乗ると、席は最後尾だった・・・。かなり揺れが激しいが、道路は舗装されており、少なくとも昨日に較べればはるかにましだ。途中、大勢の人が降りる町があり、そこで運転手に呼ばれて前の席に移れた。

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上左の写真はバスの車内。地方を走る中型バスはこんな感じです。もちろん中では煙草吸い放題、飲食も自由、ゴミは全部床に捨てちゃってください、状態。
右は榕江の中心部にある榕江大橋。町へはこの橋を渡って入り、出るときもこれを渡って出る。

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町で食べた「経済飯」の店。美人のお姉さんは性格もよく、「お代わりどう?」と聞いてくれた。
おかず2品にご飯がついて7元。町のレベルによって若干違うが、このくらい出せば一食食べられる。

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まったく何でもない町の様子。バス駅の近くだ。雨上がりで道路は濡れている。
右は市場。いろいろな民族の人がいたようだ。民族については自信がないが、たぶん苗族だろうと思う。


榕江は、この旅で初めて「外国人が泊まれない宿がはっきりとある」町だった。何軒かに聞いてみたのだが、「賓館以上でないとダメ」と言われた。招待所、旅社、飯店、客桟ではダメということだ。ずいぶん聞き歩いて、ようやく市場の奥のほうに友誼小賓館というのを見つけ、聞いてみたら泊まれるとのこと。賓館の前に「小」が入ってるからダメかと思ったが。1泊30元、なんと、電気シーツ付き。このエリアは非常に寒かったので、ありがたかった。結果論だが、途中で聞いた招待所や客桟よりも安かった。

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常設の市場があり、一日中賑わっていた。特に少数民族が大挙してくる、というわけではないと思うが、十分におもしろい市場だった。

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買ってみるまで半信半疑だったが、餅だった。
紛うことなき、餅。
おいしかった。不思議とここでしか見なかった。

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そしてこれは、なんとなんとなんと、きなこ餅ではないか。
丸餅を茹でて、きなこをまぶす。
砂糖と隠し味の塩を効かせているところまで同じ。
うれしかった。これもここでしか見なかった。

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何年か前のネット上の記事を見て、「静かなトン族の村」を期待して行ったら、なんと、「天下第一トン賽」なるテーマパーク化していた。入場料たしか10元だったかな。忘れました。背後にそびえるのは新築の鼓楼だ。中国は大観光時代に突入している。この国が「ここを観光地にしよう」と決めたときの変化の速さといったら古今東西類を見ないのではないか、と思われるほどだ。
上右は、天下第一の水牛さまだ。実際の村の中とテーマパーク化された入り口部分との落差が激しすぎて、どう捉えればいいのかよくわからなかった。

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天下第一トン賽の中、というか裏。もともとの居住エリア。馬車が石を運んでいた。
上右は、この村の表通り。丸太を載せたリヤカーを押している女性がいた。この道路を乗り合いのバンが走っている。1人3元。大きなバスが来れば、それに乗ることもできる、と思う。

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ガジュマルの木が天下第一トン賽の中に植わっていた。この横に川が流れている。ガジュマルを中国では榕樹と呼ぶそうで、それが町の名の由来になったらしい。

時期になるとこの川で藍染を洗ったりしていると聞く。今もそうであるかはわからないが。
中国の変化は急すぎる、ような気がするが、もちろんそれは彼らにとっては大きなお世話なのである。
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by himalaya3 | 2009-03-16 23:49 | 2009ラオ・中国・ベトナム

雨の桂林・従江、トン族地区を行く 2009旅日記の4

昆明から桂林へは空路なら1時間かからないほどで着く。桂林は1989年に一度来たことがある。その時は、ガイドブックに載っている外国人宿泊可のホテルが軒並み「外人不可」となっており、一体全体何がどうしたことやら、つまりは外国人を締め出していたということなのだろうか。おかげで客引きに連れられて変な宿に泊まるしかなく、ここで私は生まれて初めて、本当に襲われかけた。以来、桂林は長く私にとって鬼門であり、人生で二度と来ないだろうと思っていたのだが……。
桂林は雨だった。空港は市内からずいぶん遠いらしい。案内所で聞くと「タクシー100元」と言う。何をふざけたことをと思い、うまいことバスがあったのでそれに乗ると、20元だという。空港から町へのバスが20元、ありえんと思っていると、中国人も20元払っている。そこでわかったのだ、ずいぶん遠いんだな、と。
相当走って桂林の街に入るが、このバスはバス駅へは行かないし列車駅へも行かない。おかしな交差点で降ろされて、そこからまたタクシーだ。バス駅に行ってもらい、すぐ隣にあった賓館にチェックイン。もう時間は夜8時を回っていたので、選ぶ余裕はなかった。100元だった。

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桂林のバス駅。とにかく漢字表記なので助かる。
上右の写真は私が乗った三江(サンジャン)行きのバス。まぁ何と言うか、ボロだった。

一夜明けても雨もよう。バス駅で三江行きのチケットを買う。保険を入れて35元。発車後すぐにガソリンスタンドに入ったり、わずか1時間半で飯休憩になったりするのは、あいかわらずの中国風か。それでも、ボロい外見からすれば懸命に山道を走り、4時間で三江に着いた。ここも雨。
次の目的地は従江だ。三江は単なる中継点である。乗り継ぎのバスは2時間後、保険入れて36元。
おや、と思う。桂林~三江より、三江~従江のほうが、距離はずっと短いのに、なぜ高いのだろう。はてさて。

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左は三江大橋から見る三江の町と鼓楼。すぐ近くらしかったが、雨だったので行かなかった。
右は街角の苗木売り。写真を見せながら果樹の苗を売っていた。なかなかの繁盛振りだった。

三江のバス駅で、行き先を確認してバスに乗り込んだ私に、運転手が声をかけてきた。「どこの人?」「日本人」「え?」「日本人」……。一瞬の間。いやな予感がした。桂林は、先の大戦当時、日本軍が爆撃した街であり、89年にはあちこちでその話を聞かされた。このあたりは反日気分が高いかもしれない。
しかし、次の瞬間に運転手が発したのは、意外にも
「日本人なのか! ほんとに? うわぁ」
そして、
「中国にようこそ! 三江と従江にようこそ!」
の声だった。

さて、走りだしたバスは、あっという間に道路工事につかまった。平均時速20キロ以下でしか走れない、あらゆる方向に体が揺すられる、とんでもない悪路。折りしもこの雨で、道は泥濘と化している。1時間半たっぷり、この悪路に揺すられる。心はともかく身はぼろぼろになる。
長い長い川に沿った工事区間を終えると、道はいくぶんましなダートになった。そして貴州省に入ったとたんに舗装道路になり、従江到着は夜7時半。たっぷり4時間、午前と合わせると8時間の走行だった。
もう暗くなりかけていたので、バス駅から出てすぐの春城旅館というところに飛び込む。値段は30元。各室の外廊下にガスボンベが設置されており、シャワーのお湯はガンガン出るし、マージャン好きの服務員は親切で布団をもう1枚貸してくれた。

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巴沙(バシャ)という村。バの字は、山かんむりに巴。原始風味の苗族の村、ということで行ったのだが、季節はずれでおまけに雨だったので、ほとんど村人もいず、その原始風味とやらはさっぱりわからなかった。すっかり観光地化されていることは、このたたずまいに似合わぬ公共水洗トイレが村入り口に設置されており、TOILET と英語看板も出ていることから推測されたが、このトイレがまた、見事な阿鼻叫喚悶絶地獄と化しているのが中国的だった。
中国人に言いたい。水洗トイレはまだ無理だ。どうせ使えない、すぐ壊してしまうものを作るのなら、昔の1本溝トイレのほうがずっとずっとマシだ。党幹部に見せるための水洗トイレなんか作って悦に入ってんじゃねぇよっ!(本音です、スミマセン)

気を取り直して。
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従江は黔東南ミャオ族トン族自治州に属する県だ。相当数のトン族が住んでいる。とある鼓楼のある村に向かっていた時に見かけた大行列。結婚式の行列だそうだ。お祝いの品なのか、引き出物なのか、どっちだろう。あるいは、新郎家が新婦家に贈るのかな。これが確率高そうか。

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村の入り口にあった小さな鼓楼。党の宣伝横断幕が貼られていた。
村でも結婚式が。これは人々が祝いの席に運んでいたもの。天秤棒の片方には米、片方は酒、だそうだ。米と酒には困らぬように、ということだろうなぁ。

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左が村の中心にあった鼓楼。写真が下手でまことに・・・
右はその内部で上を見上げているところ。ぜんぶ丸太と板で釘を使わずに作っているそうだ。トン族といえばこの鼓楼と風雨橋という屋根つきの橋が有名だが、どちらも見事な美しい木造建築だ。

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鼓楼の内部にはいろりが切ってあり、そこで火を焚いて、その火を取り囲んでずらっと男性ばかり、それも壮年以上の人々が座っていた。上右の写真も、この写真も、
「と、撮ってもいいでしょうか?」
「おお、撮りなせぇ~」
てな感じでお伺いを立てながら撮ったのだが、男性ばかりというのはえらい威圧感があるもので、びくびくものだった。
この人々はこの後、結婚式が始まるということで、ぞろぞろとその家に向かっていった。待機しておられたわけだ。

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ここが結婚式会場。人が大勢入っていく。
結婚式会場にも近い村の入り口付近。道路に散乱するのは爆竹だ。鳴りっぱなしだった。

実はこのエリアに来たのは、トン族の藍染を見るためだった。
見るといっても、この時期に染をやっているとは思わない。何かしら作業をしていたり、その反物があったり、するのではないかと思ってやってきたのだが、残念ながら春節の時期にぶつかったせいか、その手のものには出会えなかった。もとより、いつか時期を見て訪れるための下調べ、のつもりでもあったので、そうがっかりはしていない。「出会えなかった」と言うほどには、町も村も巡っていない。
しかし、このエリアは遠い……。広西側からも、貴州側からも、とにかく遠い。腰椎がイカれている自分がまたバスを乗り継いでここを訪れる日がくるかどうか、少々疑問である。
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by himalaya3 | 2009-03-11 20:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム