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蘭州・そして西へ

蘭州は当時、西安、ウルムチと並ぶ危険な街と言われていた。
私にとっての蘭州は、前の記事に書いた顛末によって苦い街であるが、とりたてて危険な街だとは思わなかった。ただ、嫌な街であったことは確かだ。
列車が蘭州駅に着いたのは、真夜中だったと思う。同室だった日本人と自転車力車をシェアして蘭州賓館へ。ドミ8元、10人部屋。深夜のためもう明かりは消えていて、空いているベッドを探すのに一苦労。ようやく見つけて着の身着のまま眠り込み、翌朝起きてみると、自分以外ぜんぶオトコだった。この旅行ではドミにばかり泊まったが、さすがに自分以外が全部オトコだったというのはここだけだ。

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蘭州の全景。
手前を流れる茶色い水は、黄河である。ホワンホー、個人的に憧れの川だったのだが、かなりがっかりした(笑)。

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怒りの蘭州火車駅。
当時の中国は、国営全盛時代であり、どこで何をするのにも「服務員様」のご機嫌が悪ければアウト! の世界だった。そしてほとんどの確率で、服務員様のご機嫌は悪いのだった。商店では目の前の棚にあるビスケットが「没有」だし、ホテルではベッドがあっても「没有」だし、駅ではチケットがあっても「没有」なのだった。もちろん、こちらがもっと言葉ができれば違うのかもしれないのだが。
で、ここ蘭州の列車駅は、噂にたがわずとんでもねぇ駅であった。
とにかく、一等寝台以外絶対に売らない。
「ええと、明日のトルファン行き2等寝台ありますか」
「没有!」
「え、えと、それじゃですね、明後日は・・・」
「没有!」
「え、えと、えと・・・・・・」
ガシャーン!
2回目の質問をしている時点でかなり「うぜぇ野郎だぜ」って顔をしていた服務員は、3回目の質問は許さずに小さな窓に音を立ててシャッターを閉め、茶を飲みに席を立つのである。
一事が万事、こんな感じ。どこの駅でも似たようなもんだったが、それにしても蘭州はひどかった。とにかく、その当時の蘭州で、2等寝台を買えたという話を聞いたことがない。
おかげでこの駅の外人用窓口の木の枠(窓口は手が入るだけの小さな口が開いていて、そこに顔をナナメにして中に叫ぶ方式)には、放送禁止用語がたくさん書き連ねられていた。

蘭州では、耳たぶ麺の屋台がよくあって、皿1杯が1元だった。
正確には「猫耳麺」と呼ぶのかな? 子猫の耳みたいな形にした小麦粉を茹でて、それから野菜などと一緒にガーッと炒めて供されるそれを、私はけっこう好きだった。
ある日、1人でこの麺を屋台で食べていたときのこと。屋台と言ってもテーブルが何台か置かれ、飯時だったのだろう、店はにぎわっていた。私の麺ができて、食べ始めて少しすると、テーブルの向こうに子どもが2人立った。6歳くらいの男の子と、3歳くらいの女の子。年齢はもちろん確かではない。もっと大きかった可能性もある。
男の子は上半身裸だった。女の子は汚れたワンピースのようなものを着ていたと思う。
なんだろう、とただ見ていると、男の子がやおら手に持っていた針金を私にかざしてみせた。そして、そのかなり太い針金を、自分の胸にギリギリと巻きつけ始めた。呆気にとられて見ている私の前で、針金は3回くらい巻かれ、彼はその端っこをものすごい力で引っ張って締め始めた。彼の胸が針金によってくびれ、くびれたところは真っ白に、そうでないところは真っ赤になった。私はただ呆然と、それを見ていた。周囲の男たちは、笑いながらけしかけていたような気がする。多分、いつもいる兄弟だったのだろう。
少年はいったん胸に巻いた針金をほどくと、今度は首に巻きつけて、またギリギリと締め上げた。さすがに制止しようと思わず腰を浮かせると、妹がすっと手を差し出してきた。ポケットに入れていた1元を渡し、ついでに麺の皿も押しやると、まだ熱いそれをとんでもない勢いで兄貴が半分胃袋に流し込み、続いて妹が同じようにした。
屋台のおやじが気がついて怒声を上げたときには、もう兄弟は逃げだしていた。
それから私は屋台のおやじに怒られ、周りの男たちに嘲笑を投げかけられながら、「何なんだ、何なんだ」と腹を立てながら宿に帰った。いったい何に腹を立てていたのだろう。自分にか。周囲の男たちにか。

こういう乞食に会ったのは、私の記憶に間違いがなければ、後にも先にもここだけだ。
蘭州はほんとうに、嫌な街だった。

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さらに西へ向かう列車に乗った。
当時はほとんどの列車が機関車で石炭を焚いて走っており、窓を開けているとバラバラと煤が降り注いでくる。この頃の一等寝台は、まだ窓が開いたのだ。
当時の日記を見返すと、私はこの車中で女性の車掌さんに英語の雑誌を貸してもらい、同室の中国人のおじさんに揚げパンをもらって腹を下したらしい。このおじさんは、しょっちゅう魔法瓶のお湯を取り替えに行ってくれたり、いろんな食べ物をくれたり、地図を見ていると場所を教えてくれたり、とんでもなく親切な人だったと書いてある。
この列車には、42時間くらい乗ったようだ。下車したのは大河沿という駅。ここからバスで1時間ほどかけて、トルファンに行った。
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by himalaya3 | 2007-07-05 21:15 | 中国シルクロード・1988

1988上海・成都

生まれて初めての海外ひとり旅。その最初の地が上海だった。
片道の航空券を握り締めて、成田で飛行機に乗った(乗り込んだときはもちろんボーディングパスを握り締めてたわけだが)。
何もかも初めてで、不安に押しつぶされそうだったことだけは、強烈に覚えている。
しかも飛行機はいきなり4時間半も遅れ、機内ではズボン姿のスッチーに「要るのか要らねぇのか」といちいちすごまれ、紙パックのジュースを放り投げられ、上海到着は夜の8時過ぎ。高度を下げていく機内から下を眺めても真っ暗なばかりで、いったいどこに空港が・・・と思った瞬間に、どすんと着地した。

とにかく暗かった。
空港の建物の中も暗かった。
人がいなかった。
そして到着出口を出たロビーには、おびただしい人の群れがいて、カモを出迎えてくれた。彼らを振り切って逃げるように空港の外に飛び出したが、そこも真っ暗だった。本気で後悔した。なんでこんなところに来てしまったのだろうかと、本気で悔やんだ。悔やんだけれど遅かった。闇雲に歩いて空港ホテルにたどりつき、ともかく部屋を確保したときは、泣きそうだった。もちろん泣かなかったけど。もう大人だったしね。

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で、翌日、タクシーの運転手に拾われて、連れて行ってもらったのが浦江飯店。バックパッカーでこの時期に上海に行って、ここに泊まらなかった人はいないんじゃないかというほどの、老舗中の老舗。写真は女子ドミの窓から浦江にかかる橋を見ているところ。この橋を渡ってしばらく行くと、右手から南京東路がぶつかってくる。そのあたりはバンドと呼ばれている場所で、南京東路に入ると和平飯店があった。その向かいにパン屋があって、そこのパンで食いつないだこともよーく覚えている。

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そして成都に行った。
親切なタクシーの運転手が、飛行機のチケットを買うのを手伝ってくれたから。
ある程度遠くへ行かないと、このまま逃げ帰ってしまいそうな気がした。それに成都はチベットの都、ラサへの玄関口で、ともかくここへは行こうと決めていたのだった。
写真は成都の中心にそびえる毛沢東像。この頃、たとえば北京大学などでは毛沢東像の撤去が盛んに行われていたのだが、ここでは大健在だった。

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成都では峨眉山に登りに行ったのだが、そのときの写真はほとんどない。
そこから戻ってきて泊まったのが、成都といえばここでしょ、と言うべき交通飯店。その窓から見下ろした廃車置場。
というのは嘘で、現役のバスが置いてある。でも実際、自分は、廃車置場だと信じていた。あまりにも汚くてボロボロで・・・。よく考えてみれば、自分が峨眉山に行ったバスだって、走っている間に空中分解しそうなすさまじいバスだったのだが。

峨眉山へ行くバス(たしか報国寺行き)のチケットを買って、教えられたバスに乗り込もうとすると、女性の車掌が私のチケットを手に取り、やおら最前席の男性客のところに歩み寄ると、すごい剣幕で「どけ!」と言い始めた。客は客で言い返し、数分間の押し問答があったのだが、結局、車掌は男性客をそこからどかし、私をその席に座らせた。
実際のところ、私はどこでもよかったんだけど。
突然やってきた外人の姉ちゃんに対する、それが彼女の精一杯のやさしさだったんだろうなと思う。その最前席は、唯一の1人掛けシートだったから。
そのバスの食事休憩のときには、欠けた茶碗に注がれたぬるいビールを乗客に奢られて、サインをせがまれて困った。そうそう、この食事が中国に入って最初のメシ屋体験だった。金魚の絵のついた洗面器一杯のスープにも、このとき初めて遭遇した。

峨眉山の途中まで登ったのだが挫折。山道で水を売っていた老人と「いくら」というのを指数字でやりとりしながらパニックに陥っていた私を助けてくれた親子がいて、一緒に下山することになった。母親と息子。息子は私より3つ年上だった。
山道の途中に、竹で囲った掘っ立て小屋があり、大釜で湯を沸かしていた。その湯をどんぶりでざぶりと掬ったものが1分。1元の100分の1だから、20銭くらいか。それを皆立ったまま飲み、強力たちは生のニンニクやタマネギをがりがりと齧っていた。すごい国だと思った。
麓の町では、彼らが泊まっている招待所にこっそり泊めてもらった。タダで。そして翌朝、バスに乗ったのだが、チケットは必要ないのだという。わけもわからないまま、ともかく彼らとバスに乗り込み、ここに座れと言われた席は、3人がけのベンチシート。しかもそこには既に、若い女の子が3人座っているのだ。その女の子たちは、思い返せばきのう下山のときに何度か見かけた顔だった。彼女たちは嫌な顔1つせずに詰めあって、私を座らせてくれた。それにしても無理無理である。ただでさえ狭い3人がけの椅子に、4人いるのだ。めちゃくちゃだ。
やがて車掌が人数を数えはじめ、1人多いと文句を言い始めたが、私の周囲にいた人々が
「どーでもいいじゃん、早いとこ出発しようや、行こう行こう!」
と大合唱し、バスは走り出した。
「行こうぜ!」って感じで言いたいときは「ゾウラゾウラ!」と言うのだな、というのもそのとき学んだ。

そしてバスは一日がかりで成都に戻ったのだが、その時ようやくわかったのだ。
そのバスは、成都発着の、峨眉山3日観光ツアーバスだった。みんな成都でツアーに申し込んだ人たちだったのだ。たぶん招待所の金額もコミだったのだろう。招待所がタダだったわけも、夕食と朝食がタダだったわけも、バスがタダだったわけも、やっとわかった。
それにしても、と、今も思うのだ。
自分はお金を払って乗っているバスに、明らかにカネを払っていない人間が乗っている、それもただでさえ狭い3人がけの席に無理やりもう1人乗っている。そんな状況を、自分だったらこころよく許すだろうか? と。食べるものはすべて当然のように分け与え、休憩で止まれば何くれとなく世話を焼き、食事のときには丼に無理やりおかずを積み上げる、そんな風に接してあげられるだろうか? 
その女の子たちと、私が知り合った親子とは、家族か親戚なのかなと思ったのだが、成都の駅に着くとたちまちみんな散り散りになっていったから、きっと知り合いでも何でもなかったのだろう。ただそのとき、同じ観光バスに乗り合わせただけの関係。そんな間柄でしかない知り合いが山で拾ってきた外人を、みんなが黙認してくれたのだ。

ここ数年、中国では反日の気運が高まり、日本人である私としては面白くない気分にもなる。それでも私が中国を嫌いにならないのは、こういう出会いが確かにあったからだ。
あの親子にも、女の子たちにも、20年という月日が流れた。みんなどうしているだろう。もう2度と会えないのに、いや、だからこそなのだろうか、こんなに懐かしく、こんなに切ない。

この親子には、謝らなければならないことがある。
親子は蘭州から成都に遊びに来ていて、たまたま私と同じ列車で蘭州に戻ることになった。私は1等車で、親子は3等車。それでも車中で行き来して、私は日中ずっと彼らの車両に入り浸っていた。というか、彼らや周囲の中国人たちが、私を珍しがって離さなかったのだが。
蘭州に着いて、私は外人用のホテルに泊まった。親子は家に遊びに来てくれと言い、一緒に餃子を作る約束をした。
でも、その約束の日、私は蘭州を離れていた。
悪名高かった蘭州駅で、ようやく取れた切符がその日だったのだ、などというのは言い訳だ。私はそれがその約束の日だとわかっていたし、わかっていてその切符を買った。
怖かったのだ。何かこう、深い関係になることが。何かを期待されるのではないかと。たとえば日本に行きたいとか。そんないろんなことが、怖かった。
蘭州へ向かう列車で乗り合わせた日本人が、長く旅をしている人で、散々説教されたせいもある。たしかに私は初めての旅だったわけで、彼から見ればスキだらけに見えたのだろう。中国人にチヤホヤされてのん気に笑っている、どうしようもない小娘に見えたのだろうと思う。
説教されて散々脅かされて、それで反省しちまう自分も自分だ。悪いのはとにかく自分だった。
若かっただけではすまされない、実に苦い思い出だ。

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気を取り直して、成都駅前の刀削麺屋の娘。大きな包丁でぴっぴっと小麦粉のかたまりを削り、沸騰した鍋の中に落としていく。これは汁麺として食べたのだろうか、それともこの後炒めたりしたのだろうか、まったく記憶にない。
成都の麺と言えば坦々麺だが、丼に盛られたそれを見た瞬間ダメだと思い、一口食べて火を吹いた。そしてそのまま、ダッシュして逃げた。もちろんお金は最初に払っているから食い逃げではないけど、あれは恥ずかしかった。それにしても辛かったな。

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交通飯店の、1988年5月当時の4人部屋ドミトリー。
ワイホイで7元くらいだったと思われ。人民元で9.6とか9.4とか、そんな感じだったと。
ぶら下がってるのは自分の服とかタオルとかだ。知らない間に横のベッドのヤンキー娘が自分のパンツを干してたりもした。

そんなこんなの、1988年・上海、成都だった。
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by himalaya3 | 2007-07-04 21:57 | 中国シルクロード・1988