<   2009年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

凱里・貴州省 2009旅日記の7

西江も苗族の村だったが、次に向かう凱里も別の意味で苗族の街である。
凱里は都市なので漢族も多いし他の民族も混じっているので、西江ほどの際立った苗の街ではない。別の意味で、というのは、凱里というのがこの近辺で最大の都市であるため、近郊の苗族たちの文物がここに集まってくるだろうという意味だ。

中国のこの地域に暮らす苗族は、すばらしい刺繍の文化を持っている。この人々の刺繍の美しさときたら、それはもう、他に類を見ないと断言できる。もちろん、いいものは、である。昔も今も駄物はいくらでもある。
もう何年も前に、バンコクのとある場所で中国から流出した苗の刺繍布を見たことがある。大げさではなく、鳥肌が立った。インドのカンタもいいけれど、これはまた別物だ。欲しかったが、当時確か10万円ほどだったと思う。まだ駆け出しの布屋だった私には、1枚の布に払う金額としていささか大きすぎた。仕入旅の終盤で、資金が尽きかけていたというのもあったか。ともかく買わなかった。今も夢に見る。後悔する。二度と出会えないし、私の手元にやってくることは絶対にないだろう。ああ・・・。

そのようなこともあり、一度中国のこの地域には行っておかなければと思っていた。
正直に言うと、いいものはもうないだろう、と覚悟していた。良品はすべて国外または国内のコレクターによって持ち出されており、現場には残っていないだろう。それでも、それを確認するためだけにでも、行きたかった。

b0033537_17293855.jpg

ここがそういった刺繍などを売る露天商が集まる市場。市内からタクシーですぐだった。そんなに賑わっているわけではない。土曜日だったからかもしれない。


b0033537_17311986.jpg閑散とした市場で半ば呆然としていると、おじさんに誘われた。「ウチに来ないか、たくさん刺繍を持っているよ」。そんなに怪しい感じではなかったので、ついていくと、寂れたアパートの一室に連れて行かれた。そこで刺繍をしていたおじさんの奥さん。西江鎮の出身だそうで、ということはその地の刺繍をしているのだろうと思われる。残念ながらおじさんは「たくさん」は持っていたが、「駄物ばかりたくさん」であったので、何も買えなかった。


b0033537_1734293.jpg市場に戻って、それでも何か探したいなとがんばって見つけた刺繍がこれ。この男性はほかの売り子たちに囲まれて、すっかり「さらし者」状態、ちとかわいそうであった。値段交渉から何から、とにかく全員が取り囲んで圧力をかけてくる。というのは冗談だが、値段も何も全員に筒抜けなのは確かだった。


バイヤーとしてはともかく、旅行者としては、楽しい市場だと思った。古いものもたくさんある。苗の刺繍だけではないかもしれない、ちょっとよくわからなかったが、いわゆる骨董の類もいろいろと売っていた。銀の装飾品も有名で腕輪やネックレスなどたくさんあった。アクセサリーが好きな人なら楽しめるかな。刺繍系で旅行者が買うなら、かわいい子供用の帽子とか、刺繍してある布靴とか、になるだろうか? あるいは壁掛けなどにできそうな、一点ものもいいのかもしれない。値段は・・・・・・、行って見てのお楽しみということで。多少は交渉したほうがいいかと思う。
凱里からは例の観光地・西江も1時間ちょっとの距離だし、ほかにも台江、施洞など有名な刺繍の村も日帰りの距離にある。わざわざそのためだけにここに来る人は稀だろうけれど、貴州の観光といえばまず凱里ははずせないだろう。因みに、1つくらい有用な情報を。この文物市場は、金曜から日曜の三日間開催されている。近く場所が移るよ、と店を出している人から聞いたが、はっきりとは決まっていないそうだ。


b0033537_17432996.jpg
b0033537_17434488.jpg

凱里の中心からは少し離れるが、それでも賑やかなエリアの様子。昆明ほど驚くような近代都市ではなく、西江のようなオモチャのような作り物の町とも違う。なんだか好感の持てる街だった。
右は泊まったところ。この街も、「賓館」以上でないと外国人は泊まれなくなっている。数年前までは大丈夫だったようなのだが。今はパスポートチェックも厳しい。

b0033537_17462156.jpgb0033537_1746348.jpg

小奇麗でおいしかったので通った「理想麺食店」。普通の麺類が5元からだった。安価なファストフードといった感じ。
右は路上で座り込むトウガラシ売り。貴州省も辛いもの好きな省である。


b0033537_17481593.jpg
凱里を離れるキップを買いに駅に行くと、すごいことになっていた。この前に、町の中にある列車のキップ売り場にも行ったのだが、長蛇の列であきらめたところだった。春節はもう終わりに近いのに・・・


b0033537_17494174.jpg
さらにわかりやすいサービス写真。行列もすごいが、並んでいる人と人の密着度がまたすごいんだ、中国は。こんなにくっついていて、よく大丈夫だなぁといつも思う。
上の写真も一緒に見てみると、行列の前の方に青い大きなテントがけの部分が見える。ここが特設キップ売り場。「全力で皆さまの春節帰省を支援いたします!」的な横断幕が貼られていた。この並んでいるのは全員がキップを買いに来ている人たちだが、この分では私は列車に乗れそうもない・・・・・・。

と思ったのだが、警備についていた解放軍の兵隊によると、「中に行けば買えるんじゃない?」とのこと。半信半疑で駅の中に行ってみて、ためしに聞いてみたらキップがあった。さっぱりわけがわからない。
まぁ、春節の終わりで人々が帰るといえば、ほとんどが沿海部に向けて帰るのだろうから、私は逆方向ということでキップがあったのかも。因みに買ったのは翌日の寝台だ。昆明行き、208元。

b0033537_17525966.jpg
上海からやってきた昆明行き。途中から乗るわけだ。寝台は、寝具も何も前の乗客がぐちゃぐちゃにしていったっきりで、交換とかそういうことは「ありえない」。向かい合わせの6人分、すべてこの駅までに乗客が降りており、全員ここから乗り込んだ。昆明まで1晩、14時間ほどの移動になる。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-21 18:03 | 2009ラオ・中国・ベトナム

千戸苗賽・西江 2009の旅の6

榕江の天下第一トン賽に打ちのめされた私は、最後にもう一度きなこ餅を食べて、昼過ぎにこの町を後にした。次に目指すは西江という村。静かな苗族の村、のはずである。何でも山間の斜面に広がる素朴な村で、そこには100年も200年も前のままの暮らしや時間の流れがあるのだそうだ。
西江に直接行く事はできないので、凱里行きに乗って雷山というところで途中下車する。この雷山まで128キロ。舗装はされているが細いくねくねの山道である。
昔の中国の公共バスは、2時間おきくらいにはトイレ休憩をしながら進んでいったと記憶しているが、最近はどうも違うようだ。あくまで運転手の気分次第というか。この日もまったく停まらずに100キロ以上走り、残り20キロを切ってからトイレ休憩があった。いつものことで慣れっこではあるけれど、すごいトイレだ・・・。私の親なんかを連れてきたら怒り出すだろうな、と思う。
さて、バスは雷山に入った。すさまじくえげつない街であった。
小さな川を挟んだ両側に、少数民族風味の新しい3階建てくらいのビルを建てまくっている。多分ここは、来年には巨大お土産屋さん街と化すのだろう。もちろん経営者は全員漢族だ。
それはともかく、バスは目抜き通りっぽいところで2人の客を降ろした。私も下りたほうがいいかと思ってそわそわすると、横に座っていた人が「まだ着かないからー」と言う。その声に振り向いた運転手も私の顔を見て、「まだだから座ってな」と言う。バス駅は町はずれにあって、きっとそこに入るのだろうな。
しかし、ずいぶん町はずれにあるんだなぁ、ほんとに町はずれに。
・・・・・・、っておい、街出ちゃったじゃないか、いくらなんでもおかしいだろ!
「停まって停まって!」
叫ぶとバスは停まった。運転手に「雷山のバス駅に行くんじゃないの?」と聞くと、「え、あんた凱里へ行くんじゃないの?」ときました。
「違うよ、キップだって見せたじゃん」
「ともかく降りて」
「降りてって、ここからどうやって引き返すんだよー」
「うーん、わからないけど・・・・・・」
ともかく降り、ザックがボディに入れてあったのを運転手に出してもらいつつ憤然と立っていると、
「ここで降りるってことは西江へ行くの?」
「そう」
「西江はいいとこだ、すごく有名な観光地だよ、ここから30キロ」
「あ、そう」
「あんた日本人だろ、中国語うまいねぇ、聞くのも話すのもうまいっ!」
その手にゃのらねぇ。あたしの中国語なんざうまかねぇ。
するとそこに、ウソのようにタクシーが通りかかる。取りあえず止めなきゃ、とそっちに走って交渉している間に、バスはすたこらさっさと逃げていきましたー・・・・・・。

そんなこんなで、雷山から西江へ向かうバスが発車したのは、夕方5時近かったかな。わずか32キロ、1時間もあれば着くはずが、これまた細い山道をとことこ走る上、途中で乗客の買い物を待ったり(またこれが生きた鶏だったりする)、いろいろしていたおかげで、途中で日が暮れた。すっかり暗くなった山道を登り、尾根を乗り越えたところで、前の方にいた中国人観光客から「わーっ」という歓声が。何ごとかと反対側の窓を見ると、そこには斜面に点在する温かなオレンジ色の光が。あれが西江なのか・・・。

b0033537_20393913.jpg

最初に見たときのイメージはこんな感じだった。光が強すぎるとは思ったが、それなりにきれいだったし、たどりついた夕間暮れに見たので感激もした。


b0033537_20404433.jpg
近づくとこんなケバいことになっていて、言葉を失う。つまりこれが、This is China ということだ。


最初に聞いた宿は20元。遠い昔、ネパールの山小屋がこんなであった、という感じの超狭い部屋に無理やり板作りのベッド、列車の寝台よりはましだけどというくらいの代物が入っている。トイレもシャワーももちろん外である。これで20元というのは、いくらなんでもボリすぎである。
さらにさがして歩いていくと、こんな宿が。ここは40元だが室内に一応ちゃんとしたベッドがあり、トイレシャワーも付いており、テレビもある。なんとwifi という無線LAN もあるそうな。
b0033537_20454427.jpgこれがこの日の宿。「有家ゲストハウス」だそうだ。こじゃれた造りになっており、中もすっかりこじゃれていた。カフェっぽくなってるのだ。部屋は2階と3階。清潔でシャワーもガンガン出てよかったが、一つ難点が。室内とバスルームを仕切る壁が、全面ガラスなのである。カップルならいいかもしれないけど、それにしてもどうなのよ。
ここにはバスで一緒だった上海からの観光客も来ていて、私を日本人だと知ると、「中国へ、西江へようこそ!」と満面の笑顔で言われた。この台詞、流行ってるのかな? まぁこの人たちは英語で言ってくれたけど。

食事に出かけて一軒の食堂に入ると、メニューはない。適当に言って作ってもらう方式。炒め物の値段を聞くと20元と言うので、そんなに食べられないからと言って15元に下げてもらい、スープが7元ということで手を打ち、食事をした。清算の時にいくらか聞くと「30元」とすまして言う。30元ってあんた・・・。おかずとスープで22元だ、残り8元が飯だっていうのか? 小さい茶碗1敗の米飯が8元か? いい加減にせえよ。結局24元ということになったが、いやもう、腐ってると思った。

b0033537_2053595.jpg
b0033537_2053257.jpg

翌朝の町並み。明らかに新しく作った町、メインストリートだ。と思うのだが、どうだろう。山の中に突然出現する村に、こんな広いストリートは必要なかったはずだと思うのだが。もし昔からこうだったのなら、それは私の完全な勘違いである。
建物は移築したのだろうか、それとも新しく作って古く見せているのだろうか、私にはわからななかった。


b0033537_2041341.jpg
斜面の上の方にあるのが、おそらく、昔からの村なのだろうと思われる。でもそちらも新築ラッシュ、建て替えラッシュ。たぶん、これは推測だけれど、政府が大規模に補助金を出して建て替えさせているのではないだろうか。きれいな苗族の村、ということで、西江はいま、世界遺産登録申請を出しているのだそうだ。

b0033537_20545829.jpgb0033537_20551361.jpg

町の中心を少しはずれたところで、ちょっとした食べ物を売っている人々がいた。苗族の人たちだ。
右がきなこ餅(ただしきなこは餅の中に入っている)を買った店。けなげな少女が店番をしていて、途中から弟だろうか、手伝いにやってきた。なかなか感心な姉弟ではないか、こうして一家の暮らしの一部を担っているのだなぁ・・・・・・。
と思いつつ、いくらか聞くと、3元だという。
こらーっ、どこをどう押すと、これが3元だっつう台詞が出てくるんだ? 榕江じゃこの倍の大きさの餅が1元だぞ、3元って、どういうことだよ、まったくとんでもないガキどもだ。まじで腐ってる。
(最初に確認しなかった自分が悪いのです、それはよーくわかっているし、あくまで観光地値段ということで何もかも高めなのだろうとも、わかっちゃいるのですが・・・)


b0033537_2102473.jpgb0033537_2104373.jpg

左は漢方薬を売る露店。
右は町の下の方にあった市場のようなもの。あまり賑わってはいなかった。


b0033537_2115744.jpgb0033537_2121514.jpg

馬がかわいかった。
右は種屋の看板。メインストリートに面した店はすべて同じ看板で統一されていた。素敵だけどね、いいとは思うけどね、なんかちょっと違うような気もするんだ・・・・・・。


b0033537_214013.jpg町の真ん中に作られていた広場の隅で、観光用の貸衣装屋が店開きの最中だった。この広場はおそらく観光シーズンには毎日毎晩歌と踊りのショーが繰り広げられるのだろうと思われる。振り向いたおばさんに発見された私は、この後1分ほどこの衣装をつけて写真を撮れ、それが嫌ならせめてかぶりものだけでも、と迫られて困った。

b0033537_2141493.jpgこれはただのとうもろこし。これも風味作りの飾りの一種に思えてきた。


b0033537_2171893.jpg

西江バスターミナル。トイレ完備。
雷山と凱里に行くバスがここに来る。時刻表はなかった。適当に客が集まったら行く。適当である。
私が乗った凱里行きのバスには北京からのクソ学生が4人いて、態度がでかくて気分が悪かった。鍋釜でも入ってるのか、と思うようなデカいザックに銀マットまでこれ見よがしにくくりつけている。昔陸サーファーというのがいたが、こいつらはきっと街アウトドア・パッカーなのだろう。

b0033537_2185114.jpg

西江観光村を一歩出たところの風景。これを撮っている私の背中にバスターミナルがある。まぁ、ただの広場だが。


新しく作られたメインストリート街から見上げると、斜面に広がる村のあちこちで新築工事の真っ最中だった。本当にどこもかしこも新しく家を建てている。もちろん苗族風味の建物ではあるが、なぜ新しくする必要があるのか、疑問だった。
西江は世界遺産登録をめざしている。だから通りを整備し、完璧な苗族風味の町を仕立て上げ、美しい装飾看板で統一する。家々の軒には強い光を放つ電球を取り付けて、夜も美しい景観を作り上げる。
たぶん、お手本にしているのは麗江あたりではないか。あそこは多分、今はこんな感じになっているのだろう。完全な少数民族風味の街に。
中国は突き進む。彼らは迷ったり考えたりしない。そんな時間があったら古いものをぶっ壊して新しくきれいなものを作ろうとする。
それが中国なんだよな・・・・・・。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-20 21:30 | 2009ラオ・中国・ベトナム

スキンが・・・

遊んでいたらスキン(体裁)が変わってしまい、前のスキンが見つからず・・・。
そんなに数ないのに、おかしいなぁ、どうしてだろ。
このスキンだと画面横幅がたくさんあっても写真がずれて表示されるかもしれません。
たいへん申し訳なく・・・。
そのうちにまた直したいと思います。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-17 01:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム

榕江 餅を食べる人々

従江から榕江へもバスで移動。ちょうど従江のバス駅に行くと発車間際のバスがあり、キップはいいから乗れ、ということで乗ると、席は最後尾だった・・・。かなり揺れが激しいが、道路は舗装されており、少なくとも昨日に較べればはるかにましだ。途中、大勢の人が降りる町があり、そこで運転手に呼ばれて前の席に移れた。

b0033537_23115394.jpgb0033537_23121336.jpg

上左の写真はバスの車内。地方を走る中型バスはこんな感じです。もちろん中では煙草吸い放題、飲食も自由、ゴミは全部床に捨てちゃってください、状態。
右は榕江の中心部にある榕江大橋。町へはこの橋を渡って入り、出るときもこれを渡って出る。

b0033537_2314318.jpgb0033537_23145597.jpg

町で食べた「経済飯」の店。美人のお姉さんは性格もよく、「お代わりどう?」と聞いてくれた。
おかず2品にご飯がついて7元。町のレベルによって若干違うが、このくらい出せば一食食べられる。

b0033537_23165341.jpgb0033537_23171372.jpg

まったく何でもない町の様子。バス駅の近くだ。雨上がりで道路は濡れている。
右は市場。いろいろな民族の人がいたようだ。民族については自信がないが、たぶん苗族だろうと思う。


榕江は、この旅で初めて「外国人が泊まれない宿がはっきりとある」町だった。何軒かに聞いてみたのだが、「賓館以上でないとダメ」と言われた。招待所、旅社、飯店、客桟ではダメということだ。ずいぶん聞き歩いて、ようやく市場の奥のほうに友誼小賓館というのを見つけ、聞いてみたら泊まれるとのこと。賓館の前に「小」が入ってるからダメかと思ったが。1泊30元、なんと、電気シーツ付き。このエリアは非常に寒かったので、ありがたかった。結果論だが、途中で聞いた招待所や客桟よりも安かった。

b0033537_23225091.jpgb0033537_2323688.jpg

常設の市場があり、一日中賑わっていた。特に少数民族が大挙してくる、というわけではないと思うが、十分におもしろい市場だった。

b0033537_2325227.jpgb0033537_23253533.jpg

買ってみるまで半信半疑だったが、餅だった。
紛うことなき、餅。
おいしかった。不思議とここでしか見なかった。

b0033537_2326591.jpgb0033537_23271384.jpg

そしてこれは、なんとなんとなんと、きなこ餅ではないか。
丸餅を茹でて、きなこをまぶす。
砂糖と隠し味の塩を効かせているところまで同じ。
うれしかった。これもここでしか見なかった。

b0033537_23291171.jpgb0033537_232930100.jpg

何年か前のネット上の記事を見て、「静かなトン族の村」を期待して行ったら、なんと、「天下第一トン賽」なるテーマパーク化していた。入場料たしか10元だったかな。忘れました。背後にそびえるのは新築の鼓楼だ。中国は大観光時代に突入している。この国が「ここを観光地にしよう」と決めたときの変化の速さといったら古今東西類を見ないのではないか、と思われるほどだ。
上右は、天下第一の水牛さまだ。実際の村の中とテーマパーク化された入り口部分との落差が激しすぎて、どう捉えればいいのかよくわからなかった。

b0033537_2334322.jpgb0033537_23344529.jpg

天下第一トン賽の中、というか裏。もともとの居住エリア。馬車が石を運んでいた。
上右は、この村の表通り。丸太を載せたリヤカーを押している女性がいた。この道路を乗り合いのバンが走っている。1人3元。大きなバスが来れば、それに乗ることもできる、と思う。

b0033537_23364130.jpg

ガジュマルの木が天下第一トン賽の中に植わっていた。この横に川が流れている。ガジュマルを中国では榕樹と呼ぶそうで、それが町の名の由来になったらしい。

時期になるとこの川で藍染を洗ったりしていると聞く。今もそうであるかはわからないが。
中国の変化は急すぎる、ような気がするが、もちろんそれは彼らにとっては大きなお世話なのである。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-16 23:49 | 2009ラオ・中国・ベトナム

雨の桂林・従江、トン族地区を行く 2009旅日記の4

昆明から桂林へは空路なら1時間かからないほどで着く。桂林は1989年に一度来たことがある。その時は、ガイドブックに載っている外国人宿泊可のホテルが軒並み「外人不可」となっており、一体全体何がどうしたことやら、つまりは外国人を締め出していたということなのだろうか。おかげで客引きに連れられて変な宿に泊まるしかなく、ここで私は生まれて初めて、本当に襲われかけた。以来、桂林は長く私にとって鬼門であり、人生で二度と来ないだろうと思っていたのだが……。
桂林は雨だった。空港は市内からずいぶん遠いらしい。案内所で聞くと「タクシー100元」と言う。何をふざけたことをと思い、うまいことバスがあったのでそれに乗ると、20元だという。空港から町へのバスが20元、ありえんと思っていると、中国人も20元払っている。そこでわかったのだ、ずいぶん遠いんだな、と。
相当走って桂林の街に入るが、このバスはバス駅へは行かないし列車駅へも行かない。おかしな交差点で降ろされて、そこからまたタクシーだ。バス駅に行ってもらい、すぐ隣にあった賓館にチェックイン。もう時間は夜8時を回っていたので、選ぶ余裕はなかった。100元だった。

b0033537_1983981.jpgb0033537_199556.jpg

桂林のバス駅。とにかく漢字表記なので助かる。
上右の写真は私が乗った三江(サンジャン)行きのバス。まぁ何と言うか、ボロだった。

一夜明けても雨もよう。バス駅で三江行きのチケットを買う。保険を入れて35元。発車後すぐにガソリンスタンドに入ったり、わずか1時間半で飯休憩になったりするのは、あいかわらずの中国風か。それでも、ボロい外見からすれば懸命に山道を走り、4時間で三江に着いた。ここも雨。
次の目的地は従江だ。三江は単なる中継点である。乗り継ぎのバスは2時間後、保険入れて36元。
おや、と思う。桂林~三江より、三江~従江のほうが、距離はずっと短いのに、なぜ高いのだろう。はてさて。

b0033537_19141386.jpgb0033537_19144680.jpg

左は三江大橋から見る三江の町と鼓楼。すぐ近くらしかったが、雨だったので行かなかった。
右は街角の苗木売り。写真を見せながら果樹の苗を売っていた。なかなかの繁盛振りだった。

三江のバス駅で、行き先を確認してバスに乗り込んだ私に、運転手が声をかけてきた。「どこの人?」「日本人」「え?」「日本人」……。一瞬の間。いやな予感がした。桂林は、先の大戦当時、日本軍が爆撃した街であり、89年にはあちこちでその話を聞かされた。このあたりは反日気分が高いかもしれない。
しかし、次の瞬間に運転手が発したのは、意外にも
「日本人なのか! ほんとに? うわぁ」
そして、
「中国にようこそ! 三江と従江にようこそ!」
の声だった。

さて、走りだしたバスは、あっという間に道路工事につかまった。平均時速20キロ以下でしか走れない、あらゆる方向に体が揺すられる、とんでもない悪路。折りしもこの雨で、道は泥濘と化している。1時間半たっぷり、この悪路に揺すられる。心はともかく身はぼろぼろになる。
長い長い川に沿った工事区間を終えると、道はいくぶんましなダートになった。そして貴州省に入ったとたんに舗装道路になり、従江到着は夜7時半。たっぷり4時間、午前と合わせると8時間の走行だった。
もう暗くなりかけていたので、バス駅から出てすぐの春城旅館というところに飛び込む。値段は30元。各室の外廊下にガスボンベが設置されており、シャワーのお湯はガンガン出るし、マージャン好きの服務員は親切で布団をもう1枚貸してくれた。

b0033537_19282782.jpg

巴沙(バシャ)という村。バの字は、山かんむりに巴。原始風味の苗族の村、ということで行ったのだが、季節はずれでおまけに雨だったので、ほとんど村人もいず、その原始風味とやらはさっぱりわからなかった。すっかり観光地化されていることは、このたたずまいに似合わぬ公共水洗トイレが村入り口に設置されており、TOILET と英語看板も出ていることから推測されたが、このトイレがまた、見事な阿鼻叫喚悶絶地獄と化しているのが中国的だった。
中国人に言いたい。水洗トイレはまだ無理だ。どうせ使えない、すぐ壊してしまうものを作るのなら、昔の1本溝トイレのほうがずっとずっとマシだ。党幹部に見せるための水洗トイレなんか作って悦に入ってんじゃねぇよっ!(本音です、スミマセン)

気を取り直して。
b0033537_19352643.jpg

従江は黔東南ミャオ族トン族自治州に属する県だ。相当数のトン族が住んでいる。とある鼓楼のある村に向かっていた時に見かけた大行列。結婚式の行列だそうだ。お祝いの品なのか、引き出物なのか、どっちだろう。あるいは、新郎家が新婦家に贈るのかな。これが確率高そうか。

b0033537_19375234.jpg
b0033537_19381516.jpg

村の入り口にあった小さな鼓楼。党の宣伝横断幕が貼られていた。
村でも結婚式が。これは人々が祝いの席に運んでいたもの。天秤棒の片方には米、片方は酒、だそうだ。米と酒には困らぬように、ということだろうなぁ。

b0033537_19401773.jpgb0033537_19405988.jpg

左が村の中心にあった鼓楼。写真が下手でまことに・・・
右はその内部で上を見上げているところ。ぜんぶ丸太と板で釘を使わずに作っているそうだ。トン族といえばこの鼓楼と風雨橋という屋根つきの橋が有名だが、どちらも見事な美しい木造建築だ。

b0033537_1943394.jpg

鼓楼の内部にはいろりが切ってあり、そこで火を焚いて、その火を取り囲んでずらっと男性ばかり、それも壮年以上の人々が座っていた。上右の写真も、この写真も、
「と、撮ってもいいでしょうか?」
「おお、撮りなせぇ~」
てな感じでお伺いを立てながら撮ったのだが、男性ばかりというのはえらい威圧感があるもので、びくびくものだった。
この人々はこの後、結婚式が始まるということで、ぞろぞろとその家に向かっていった。待機しておられたわけだ。

b0033537_19492368.jpgb0033537_19494398.jpg

ここが結婚式会場。人が大勢入っていく。
結婚式会場にも近い村の入り口付近。道路に散乱するのは爆竹だ。鳴りっぱなしだった。

実はこのエリアに来たのは、トン族の藍染を見るためだった。
見るといっても、この時期に染をやっているとは思わない。何かしら作業をしていたり、その反物があったり、するのではないかと思ってやってきたのだが、残念ながら春節の時期にぶつかったせいか、その手のものには出会えなかった。もとより、いつか時期を見て訪れるための下調べ、のつもりでもあったので、そうがっかりはしていない。「出会えなかった」と言うほどには、町も村も巡っていない。
しかし、このエリアは遠い……。広西側からも、貴州側からも、とにかく遠い。腰椎がイカれている自分がまたバスを乗り継いでここを訪れる日がくるかどうか、少々疑問である。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-11 20:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム

14年ぶりの昆明へ 2009旅日記の3

(表示が乱れてしまうかも、ダメだったら教えてください、スミマセン)

ラオス(時々現地の呼び方で「ラオ」と表記することもあるが、基本的には日本での通名であるこちらを使う)のルアンナムターから中国へ行くには、国境のボーテンに行き、国境を越えて中国側のモーハンに行き、さらにそこから最も近いモンラーに行き、というコースをたどる。去年はローカルバスを乗り継いでこのように行ったが、今はナムターからモンラーへの直通バスがあるという。今回はこれに乗った。

b0033537_23452535.jpg雲南省モンラー行き国際バス。国際班車と中国では呼ぶ。モンラーまで一切中国元を使わずに行けるので便利。なぜなら国境には銀行がないからだ。


b0033537_23472153.jpgb0033537_23474058.jpg

左がラオス側のイミグレーション。新しくなっていた。
右が中国側、イミグレーション・オフィスではないが。中国側はおそろしく立派で巨大な新しいイミグレを建設中。ほとんどできていた。それはもう、道路をまたいでそそり立つようなビルで、国力の誇示とも、ラオスに対する威圧ともとれるような建物だった。

国際バスはモンラーの大きなバス駅に着く。ナムターからの所要時間は3時間ちょっとだった。ローカルを乗り継いだ去年は小さなバス駅に着いたので、この点でも国際バスは楽だ。中国元が心もとないので、たしか農業銀行だったか、に両替に行く。向こうの都合でパスポートのコピーを取るのに、代金を払わされる。中国的。
バス駅で今夜の6時半発昆明行き寝台バスのキップを買う。


b0033537_23552418.jpgb0033537_23555144.jpg

春節の時期だったせいか、昆明行きは30分おきにバンバン出ていた。左が7時半発のバス。右が私の乗る6時半発である。並べると、自分の乗るバスのあまりのみすぼらしさに泣ける。このバスのチケットを持っていたイギリス人の留学生も泣いていた。
彼は7時半のバスを指さして「これが、バスだ」。続けて6時半発を指さして、「これは……、ガキのオモチャ!」とのたまった。

b0033537_23584117.jpgかつて私が中国青海省のゴルムドからチベットのラサへ行くときに乗った寝台バスは、真ん中通路の両側ベッド、1つのベッドに2人寝る、というスタイルだった。私はチベット娘のチュバ(毛皮服)に抱かれるように、時折酸素不足で意識を飛ばしながら、走っていったものである。現在の寝台バスは、1人のベッドが3列並ぶスタイルだ。幅はおそろしく狭いが、体が伸ばせるだけ楽か。


b0033537_013511.jpg私の乗ったバスは、思芽手前で7時発に抜かれた。そしてどこだかわからん山中の事故現場迂回のときに7時半発に抜かれた。深夜、あやしい動きを繰り返していると思ったら修理工場を探していたらしく、未明に工場入り。そのまま2時間ほど修理して、昆明着は翌日午前11時。80年代、90年代のこの地域を知る者としてはその時間の短さに驚嘆するが、後発のバスにすべて抜かれたことを考えるとやはりしんどかった。


b0033537_053981.jpgb0033537_06164.jpg

昆明のバス駅。立派なバスがずらり並んでいる。遠くは広州行きの文字も見える。
右は昆明列車駅の中。電光掲示板でチケットの有無が表示され、ずいぶん近代化された。14年前の昆明駅では、キップ売り場のカウンターに登った緑制服の女駅員が、メガホン片手に「お前ら並びやがれ」と叫んでいたし、ようやくたどり着いた窓口では「広州行きはないけどハイホアならある」と言われ、しかしそんな地名は聞いたこともなく戸惑っていると、「やり直し!」と叫ばれてジ・エンド。再度並びなおして買えたからよかったようなものの、まぁ、それが中国なのだが。

b0033537_012132.jpgb0033537_0122326.jpg

左は昆明駅から道1本入ったところ。ぶっかけ飯を売る屋台である。手前の女性は買ったばかりのそれをむさぼり食っている。町はすっかり様変わりしたが、中国人は今もこのように、妙齢の女性でも人前・道端問わず、平気で飯を食う。歩きながらでも食う。
右は昆明駅の真正面の交差点。立派なビルが建ち並ぶ。

b0033537_0382971.jpg駅前の食堂で食べた砂鍋ミーシェン。最初に聞いた店では20元と言われて驚いたが、ほかの店でも15元くらいはした。昆明駅前だからだろう。大椀1元、小椀5角(10角=1元)、という90年代前半の物価が刻み付けられた頭には、「おそろしくぼられている」と思えて仕方なかった。


b0033537_0145730.jpg

昆明駅で見かけたイ族の男性2人。白と紺のマントを着こなしている。ずいぶん前に四川の奥でイ族をたくさん見たが、今もこのようにしっかり民族衣装を身につけているのだなとうれしくなった。

昆明からは、貴陽に行くか、桂林へ行くか、どちらかにしようと思っていた。貴陽であれば、そこを起点に周辺をぐるりと回ることになり、桂林であれば昆明へ向かって延々1本道を戻ってくることになる。できれば桂林へ行きたかった。
春節時期だから無理かと思ったが、駅前で聞くと桂林への飛行機が取れた。当日夜発。昆明は素通りで、この日、桂林へ向かった。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-11 00:26 | 2009ラオ・中国・ベトナム

愚かな女と呼んでくれ・後編 ラオス 2009旅日記の2

b0033537_1854449.jpg

山道の雑貨屋。なんとガソリンも売っている、こともある


(承前)
怪我が大したことなかったからでしょう。とりあえず早急に事故の痕跡を消さねば、という意識が働き、バイクを起こしてスタンドを立てました。
そこへ一部始終を見ていたらしいさっき追い抜いたレンテンの人が小走りに来てくれて、まずは「腕動かして! 首動かして! 足は! 胸とかお腹は!」と、けがのチェック。幸い、動かない部位はありません。ちょっと落ち着いて自分でよく見ると、右の手首の掌側を強く打って出血しているのと、右膝をかなり強く打ったらしくそこがイテテなのと、怪我としてはそんなもののようでした。足から血が出ているのは、宿に戻ってから知りました。
レンテンの人は散らばった反物を拾ってくれて、真っ白の砂埃だらけになっているのをはたいてくれて、元通りカゴに入れるのを手伝ってくれました。その間、車とバイクが何台か横を通過したような気がします。
私が大丈夫らしいのを確認すると、レンテンの人は先を急いで行きました。私はさらに落ち着いて、まずバイクを点検。幸いにもほとんど傷もなく(最初から傷だらけだったし)、「お前、事故っただろ」と言われそうな痕跡はありませんでした。でも自分を見るとズボンもジャンパーも真っ白の埃まみれ、これではバレバレです。あわててはたき、落とせるものは落としました。
それから自分がバイクに乗れるか確認してみましたが、とりあえず右手首が痛いだけで、何とかなりそうです。痛くてじんじん痺れているけれど、指が全部動くので、折れたりはしていないでしょう。ギヤチェンジは左足です。
バイクのエンジンもかかります。私はとろとろと、坂道を下り、町に引き返しはじめました。途中、レンテンの人がいたので、停まって「さっきはありがとう」とお礼を言ってから、町に入りました。
宿に入る直前で、埃が落ちないジャンパーを脱いで証拠隠滅(笑)。手首の出血は、別にバイク事故じゃなくても血くらい出すだろ、へへーん、って顔して宿に戻り、部屋に戻ってあらためてよくよく点検してみました。勢いよく走っている状態でバーンと転倒したわけではないし、幸いにもバイクの下敷きにもならなかったので、怪我としてはほんとに打撲と擦り傷だけですみました。よかったっす。ここで骨折とかしてたら、先が全部消えてしまうものね。
近くの薬局に出かけて傷を見せるとすぐに消毒液と絆創膏とガーゼと包帯を売ってくれました。手首は絆創膏でかくれるくらい、あと小砂利がめりこんでたのはそのうちに取れました。膝はまぁ、いいやね、そのへんの話は。
そうそう、後日、中国で膝の痣がものすごいことになったので記念写真を撮ろうとしたのですが、「私は美しいものを撮るために生まれてきたのです」というポリシーを持つカメラだったらしく、ちゃんと撮れませんでした。そんなもん見せられなくてよかったね、みなさん。

その日はもう1つ、織りの村というところへ行きましたが、特筆すべき事はなにもなし。てことはつまり、いい布には出会えなかったということでして。残念でした。

翌朝、早起きしてムアンシンというさらに奥まった村へバスで行こうとしていると、宿の人が「バスは8時発だから、着くのは11時になるよ」と教えてくれました。たった60キロほどなんですが。11時だと、目当てのマーケットは終わっている可能性が大です。そこでワタクシ、またしても愚かなことに、バイクで行こうと考えたのでありました。
ガソリンタンクは3リットル、このバイクはリッター30キロしか走らないからね、と宿の人に言われて出発。町はずれのスタンドで満タンにして、出発です。算数が得意でない私ですが、これで走れるのは90キロ、往復120キロだからどこかで給油しなければならない、ということはわかりました。
今日の道は全線舗装と聞いてます。ゆっくり行けば何とかなるでしょう。しっかし寒いぞ、おい。
途中、いくつもの村を沿道に見ながら2時間ほど走って、ムアンシン到着。思ったよりも町っぽい、でも人はいない……。というのが第一印象でした。ツーリストがいたのでマーケットの場所を聞き、行ってみましたが、ガラーンとして人はまばら。山岳少数民族なんてどこにも、どこにもいません。
えー、終わっちゃってたか、こんなもんなのか、そのどちらかでした。
前夜泊まって朝早く見に行くと、きっと違うのだろうと思いますが、保証はしませんのであしからず。なんせ自分は知りませんからね。

b0033537_18424278.jpg

あまりのがっかりに、アヒルなぞ撮っている


ものすごくがっかりして、町はずれの飯屋で麺を食べて、とぼとぼと帰路につきました。


b0033537_1847223.jpg

 この日の相棒カックン号。なぜかカックンカックンするのです、走行中に(笑)
ムアンシンにて


さて、日も高くなり気温も上がり、往路よりは快適に鼻歌まじりに走行する私。
賢明な読者はもうお気づきでしょう。
愚かな私が気づいたのは、18キロほども走ってからでしたよ。
ガソリン入れるのを忘れました…………。
途中、何もない小さな村ばかりの山道で、入れるとすればムアンシン以外になかったのに。がっかり感が強すぎて、そんなことすら思い出さず、トコトコ走ってきてしまいました。
「引き返さなきゃダメか」
絶望的な気分になりながら道端にバイクを停め、タンクを覗いてみました。するとあら不思議。タプタプと、たっぷり入っているじゃないですか。念のため揺らして確認しましたが、やっぱりどう見ても半分以上入っています。
「なーんだ、平気そうじゃん。そういえば原付って異常に燃費よかったよなぁ」
なんて能天気に考えた私。愚かにも、引き返さずにそのまま走る、という道を選んだのでありました。だってさぁ、18キロだよ、18キロ。引き返したくはないよね、普通。
ラオスの道には、まぁこれはどこの国でもそうですが、道端に小さなコンクリートの距離標が1キロ置きに立っていて、その道を進む者を勇気付けてくれます。トコトコとなるべくガソリンを無駄にしないように走っていく私。20キロ、問題なし。25キロ、オッケー。30キロ、快調快調。35キロ、まだまだいけまっせ。40キロ、ほれがんばれ、もう少しだ。45キロ、よっしゃ、このまま突き進めーっ!
しかし、この「残り15キロ」道標を見た直後のことでした。緩い上り坂で不意にアクセルに手ごたえがなくなったなと思った数秒後、プッスンという情けない音と共に、エンジンが止まってしまったのでありました。慌てて揺すったりいろいろしてみましたが、エンジンはかかりません。やばいです、ガス欠です。ていうか、こうなることはわかっていたはずだ、自分!

b0033537_18531931.jpg

あまりの展開、ここでちょっと休憩。途中の谷の反対斜面に見えた村、民族は不明です

あたりは山道。直前に通過した村からはかなり来ているし、進む方向にも村は見えません。このままバイクを押して行かなければならないのでしょうか、私は。残り15キロ、人間は1時間に4キロ歩くから、えーと、4時間ですか……。しかし上り坂をバイクを押して歩くのは、なんつう難行苦行でしょうか。想像するだけでおそろしい。
自らの愚かさを恨みつつ、私はバイクにスタンドを立てて、途方に暮れました。通る車もバイクもほとんどありません。だからこそまぁまぁ安全に私でも走ってこれたのです。
私は山道の山側を走っていました。ラオスは右側通行なので、右側が山です。深い樹林に覆われた崖が立ちはだかっています。そこからふらふらと、こんなバカ女はこの谷に落ちて死んでしまえ! と思いつつ、左手の谷側に歩いていった私の目に、眼下の斜面にへばりつくように建つ一軒のかやぶき民家の屋根が見えたのです。
おおっ…………! 神仏はこんな私をも見捨てないのでした。善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。賢者なおもて順風満帆、いわんや愚者をや。いや、そんなことはどうでもよく、というかこんなこと文字にしてどうする、文法的に間違ってるんじゃないか?
それはまさに奇跡としか思えませんでした。村もまばら、人家などなおさらまばらなこのラオスの山中で、バイクが果てた場所に民家があるなんて……。
こんな山奥の家です。ガソリンの買い置きがあるかもしれません。もしあったら分けてもらおう、なかったら……、わかんないけど、いちばん近いガソリン屋まで連れて行ってくれるようにお願いしてみよう。そう思って、民家に向けて斜面を降りていきました。
と、そこにはおじさんが1人。挨拶しながら近づき、「バイクが死にました」と身振りで伝えますと、親切な人で、すぐに見に来てくれました。男性は最初、バイクが壊れたと思ったらしく、困った困ったと言っていましたが、やがてガス欠と知るや「なんだ、ガソリンがないんじゃ走るわけがないぞ」と笑い出しました。そして何も言わずに家に取って返すと、やおら庭の片隅に転がっていたビアラオの瓶を拾い上げ、中に入っていた水らしきものをちゃっちゃっと捨て、それからおもむろに横に停めてある自分のバイクに近づきました。そして、私の目には神業に見えましたが、そのタンクからガソリンをビール瓶に少し移し入れたのです。それから道に戻って私のバイクのタンクを開き、そこにトクトクと、神の水を入れてくれたのでした。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と拝み倒している私に、
「次の村の雑貨屋で入れなさい、これだけではナムターまでは無理だからね」
と、お礼も受け取ろうとしないその人のポケットに強引にラオ札を入れて、私はまたトコトコと走り出しました。
ガソリンのある雑貨屋がある村は、そこから3つ先でした。途中で聞いてもみんな「ない」と言うので、かなり焦り始めたときに、その村に着きました。ここで1リットル入れて、後は安心。ナムターまで帰ったのでありました。

b0033537_18501112.jpg

さすがラオス、バイクにも愛国精神が浸透しており、ビアラオで走ります。んなわけない。ガソリン給油風景

あの、ものすごく反省しておりますので、お叱りはなしで、お願いいたします(笑)。

さてさて。
この日の午後、もうひとつ宿の人に教えてもらったレンテンの村に出かけました。今度はちょっと遠くです。それほど山道ではなかったけれど、ダートの道が長かった……。昨日の今日なので、特別に慎重に、慎重すぎて却ってこけそうなくらいゆっくりと、その村に出かけました。

b0033537_18572263.jpg

道路にホウキグサを干している光景はいたるところで見られました


村に入ってしばらくそのまま進んでいくと、藍染の布を干している民家を発見しました。とうとう見られるか、藍染。と思いバイクを停め、気配に気づいて出てきたおじさんにまたタイ語と英語で話しかけながら、ふと見ると家の扉の横の枠木に漢字が書いてある。中国ではよく見るおめでたい言葉です。家内安全、商売繁盛とか、ま、そういったようなことが書いてあるのだろうと思います。
まさか、と思いながら、「中国語話せますか?」と中国語で聞いてみると、「話せます」と言うではありませんか、びっくりでした。
そしてお互い同時に、「どうして中国語が話せるのですか?」と聞き合ったので笑ってしまいました。二人とも中国人じゃないのに、中国語で会話してる、そのことが実に不思議でした。
家の中に招き入れられ、すぐにお湯が出てきました。うっ、踏み絵です。愚かな私は飲んだフリとかできないので、飲みましたよ、ぬるくてコップが汚れてて実にスリリングでしたね。

b0033537_19188.jpg

糸くりの道具と台所

よくよく話を聞いてみると、この人は中国の広西壮族自治区から亡命してきたヤオ族でした。ヤオ族というのは、中国では揺族と書き、広西、貴州、雲南あたりに居住しているはずです。国境を越えてベトナムやラオス、タイにもいます。そしてレンテン族というのは、ヤオ族の一支系であるのです。なるほど、これでつながりました。
この、50歳代に見える男性は、両親と共に数十年前(このへんは言葉を濁していたので……)にどういう経路を通ってかラオスまで流れてきて、この村に住みつき、やがてレンテン族の女性と結婚した、のでしょう。
両親もまだ健在で、特にかくしゃくとした父親は水煙草を吹かしながらいろいろ中国の話などしてくれましたが、決して自分の出身地について詳しく語ることはしませんでした。
「広西のどこか…………、忘れてしまった」
これだけ話せ、また、結婚し子もある時期に国を出た人が、自分の故郷を忘れるわけがありません。どのような事情があって国を出たのか、それも語ろうとはしませんでした。
それでも地理的気候的に比較的近いと思われるラオスの山村に住み着くことができ、支系は違うとはいえ広い意味での同族の中で暮らすことができたことは、彼ら家族にとって不幸中の幸いと言えるでしょうか。これ以上、言葉が見つかりません。

b0033537_18591978.jpg

手作りの織機、手作りの杼


タイには中華人民共和国成立後に逃れた国民党軍が住み着いた村が今もあり、そこでは当たり前に中国語が通じます。また、タイ北部で出会ったリス族の家族は、中国からミャンマーに逃れ、さらにそこからも追われてタイに住み着いた、という話をしてくれました。このようなことは、さほど珍しいことではないのかもしれません。特に動乱期には、多くあったことなのかも。

とにかく言葉が通じるという気安さで、この家の人は機織も見せてくれ、藍甕も見せてくれました。反物も何本かあったので、昨日とほぼ同じ値段で購入できました。なんか、値段交渉したらいかん、という気がして……。正直なところ、商品としてはウチでは売れないかな、買い値が高すぎて。でも自分でいろいろ作ったりしたいので、自分用ということで納得して買いました。

b0033537_1921968.jpg

ラオスのレンテン族の女性は眉毛を落としている。この人もそうだった。紛れもなくレンテンの人だ

村はまだ奥につながっています。もしかして他にも言葉が通じる人がいるかなと思い、聞いてみましたが、中国語ができるのはこの家族だけ、とのことでした。奥に行けば反物を持っている家があると思うよ、と教えてもらいましたが、これ以上買うと私の身動きが取れなくなりますので、遠慮して、そのまま町に戻りました。今日は空ザックを背負ってきたので、反物はそれに入れて安全に(笑)。
この一族の写真も撮りましたが、掲載は控えます。お母ちゃんなら亡命者ではありませんからいいかなと思って、機織の写真だけ。



ルアンナムター・ラオス編はこれで終わりです。次回は国境を越えて中国、雲南省へ入ります。
因みに、膝はもう全快して何ともないのですが、手首のほうはまだ……。激しく打ったのだから陥没するならわかるのですが、小指側の手首の一番したのぐりっとしたところが、逆に飛び出ており、ここに力がかかると痛い。一ヵ月半前のバイク事故で医者に行くのもヘンだし、帰国後に行ってみようかなと思っています。ってことは、その程度の深刻さということなので、全然ヘーキということと同じであります。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-09 19:21 | 2009ラオ・中国・ベトナム

愚かな女と呼んでくれ・前編(たぶん) ルアンナムター・ラオス 2009

(まずはチェンマイからルアンナムターまでの経路をざっと)
チェンマイを出発してひとまずチェンライへバス3時間強。ここで一泊。別に深い意味はないのだけれど、去年泊まってよかったので何となくまた行ってしまった・・・。あ、ツーリストインです。ご主人もお元気で何より。
チェンライからチェンコンへバス2時間半。ここでは私のタイの友人(タイ兄)の義理の姉家にお世話になり、ちょっと遠いのだが県内の村にある織りのグループのところへ連れて行ってもらった。手紡ぎ、自然染めのとても素敵な布を織る人たちだが、タイではあまり人気がないらしく、繁盛してはいないようで残念に思った。皆さん自分の作品を持ってきてくれていたので、たくさん購入。義理姉さんが近々タイ兄に荷物を送るから一緒に送ってあげると言ってくれたので、ご好意に甘える。次回は糸紡ぎの村へぜひ案内したいとも言ってくれたので、来年が楽しみ~。
チェンコンの船着場まで送ってもらい、ボートでラオスに渡る。ボートは荷物代入れて40バーツ。はて、値上がりしたかな?
イミグレを無事に通過してそのまま通りに出て、意味ありげに立っていると、さっそく客引きが寄ってくる。ルアンナムターまでのミニバンの客引きだ。
正しいバックパッカーならば、ここは公共バスで移動したいところかもしれないけれど、バンは早いしサスペンションもよくて楽なのだ。腰が悪いロートルであれば、神も許してくださるだろう。で、あまり大きな声では言いたくないけど、そんなに高くないのだよ、これが。ということで、さっさと話を決める。するとほかにも決まっていた人たちが集められ、即出発。私は助手席のすぐ後ろで楽させてもらえた。車はトヨタ。ハイエースよりちょっと大きいバン。まだ新しくラッキーだった。途中一回トイレ休憩を挟み(去年は山道勝手にどこでもトイレだったが、今年はちゃんとトイレのある店で停まった)、ナムターまで3時間ちょっと。残念ながら大きいバス駅で全員降ろされちゃったけど、まぁいいでしょう。

ここまでがナムターまでの移動の経路。こっから本編です~。

ルアンナムターは、実は去年2度素通りした町です。中国への往復の際に、それこそバス駅だけ通過しました。バス駅は町からはるか離れた場所にあるので、町の「ま」の字も見なかったのです。
今年こそはと思い、いざバス駅から町へ乗り合いで。町の中心らしき場所で降ろされたので、何軒か聞いて宿を決めました。木造の建物で、床も木の板。なかなかいい感じです。7万キップ(この時1万円が92万キップ、つまり1万キップはえーと、100円ちょっと、ですね)だったかな。それから銀行に行って両替。さらにツーリストインフォメーションで近くの村の情報を聞きます。ですが、よくわからなかった(笑)。ここは本当に公営の施設なのでしょうか、地図などもないし、ツアーのアレンジが主な仕事のように見えました。一応、近くにあるという村の名前だけ聞いて、何となしに方角を聞いて、その場を後にします。たぶん、町で聞いたほうが村への行き方はわかるんじゃないかな、と思って。
いったん宿に戻り、バイクを借りました。
もう、この時点で十分、愚かであります。
腰が悪いために自転車をドクターストップされている女が、「漕がないのだからいいだろう」とバイクに乗る。うん、まあ、自転車ドクターストップは、骨盤と股関節が普通じゃないために、リハビリで使うエアバイクを漕ぐとものすごく痛くなるからなので、あながち、完全に、解釈が間違っているとも言えないかもしれないのですが……。
ともかく、バイクの運転の仕方を聞いて、ちょっと宿の敷地内で練習して、出発。とりあえずガソリンスタンドへ。少しハンドルが変だけど、まぁ何とかなるかと思いつつガソリンを入れ、ここで村の名前を出して行きかたを聞き、そっち方向に出発。

私の行き先は……、レンテン族の村。
レンテンと聞いてピンときた人は、かなりのアジア布通と言っていいかと思います。普通の人にはほとんど馴染みのない民族でありますし、レンテンの布と聞いても、はて何のことやらさっぱり、だと思います。
しかし、レンテンの藍といえば、この道に迷い込んだ者は必ず一度は手にしているはずであり、そうであればその黒とも言える深い藍色に魅せられているはず。何よりこの私がそうなのです。きっとラオス北部のレンテンの村では、純朴な人々が日夜トントンと機を織り、せっせと藍染をし、この私が来るのを待っているはず!
と、いつものように激しい思い込みに駆られた私は、何が何でもレンテン族の村に行き、実際に染めているところを見学し、はたまたそこで生産されている布を買わなければ死んでも死に切れぬ、というくらい思い詰めているのでありました。そしてそのためには、自分でバイクを運転して行くっきゃないのだよ、君。
しかし、さすがに自分の力量を思い知っている私は、町からいちばん近い村に行くことにしました。宿の人によれば、「村っていうかー、ナムターの中みたいなもんだからー」だそうなので、きっとすぐでしょう。
最初は舗装された町の中をトコトコ走っているので楽チンでしたが(学生時代は原付バイクで東京をかっ飛んでいましたし)、やがて道はダートになり、さらに山道になっていくではありませんか……。想定外です。平坦な場所にあると思ったのに。
まぁしょうがないので、そのへんにいる人々に聞きながら、聞きながら、先に進みます。20分ほどはそうやって走ったでしょうか。ようやくこれかな、と思える村に入りました。
と!
いるいる、いるではありませんか、藍染の衣装に身を包んだばあちゃんが!
思いっきりカメラの被写体として100%の完成度で、そこに座っているではありませんか!

b0033537_17475834.jpg

藍染の衣装に身を包む、完成度の高いレンテン族の女性


さっそくバイクを停め、まずはご挨拶から始めてさりげなく
「ここはレンテンの村ですかのぉ、ほぉ、そうですかぁ、ほんでもってどこかで藍染などはやっておりませんかのぉ、機織でもいいのでございますがのぉ」
などと話をしてみますが、もちろん、タイ語と英語と日本語で喋っているわけですから、通じるわけがない(笑)。んなことはいいのです。とにかく私が敵意のない好人物である(笑)ということが伝わればそれでいいのです。
しばらくにこやかに談笑し(一方的ではあるが)、十分にいい人オーラを発散し終わったところで、おもむろに、「写真撮らせてもらっていいですかの」と聞いてみると、ニッコリ笑って「ええけどお金頂戴ね」ときたもんです。いやいや、微笑ましいではないですか。これでいいんですよ、これで。
ツーリストの中には、「たいした衣装も着ていないくせにカメラを向けると金、金、言われて興ざめ」とか言ったり書いたりする人もいるのだけど、私はそれは了見違いも甚だしいと思うのですわ。あんたには写真を撮る自由がある。ならば相手には撮られたくない、撮るのならば金払えと言う自由がある。そうじゃないですか? 大体さぁ、頼んでもいないのに勝手に来て勝手に写真撮られたら、自分だって嫌だろうに。
ま、それはそうとして、何枚か撮らせてもらってからおばあさんにお札を見せて「これでいいですか?」と聞いたら、「そっちの大きいのがええのぉ」ときたもんです! 「そっちの大きいの」を完全に隠しそこなった私が悪い。ますます気に入った。もちろん、「そっちの大きいの」をお礼にして、その場を後に。
(ここの部分、違う、と思う人も多いかと思います。旅をしながら写真を撮っている人はたくさんいて、私もその1人であるわけで、被写体にいちいちお金を払っているわけにもいかないし、その土地の人にとってそのような行為はよくないと考える人もあって当然だと思います。お金を介するような写真は、正しくない、不純である、みたいな感覚もあって不思議はないと思います。私の場合、基本的には、話しかけて了解が得られれば撮らせてもらう。その人が市場で物を売っている人であれば、それが野菜であれ何であれ、買わせてもらってから交渉する。お礼が欲しいといわれたら考えて、それでも撮りたければ言われたとおりにする、という風にしています。それは自分自身が商いを生業としてから、かなり厳格にそういう風になりました。世の中はギブアンドテイクじゃないとおかしいだろう、と考えるから。こちらだけが楽しくて、後日その写真を見て懐かしんだりブログにアップして世界中に公開したりするのに、撮られたほうには何の楽しみもメリットもない、では、どこか違うよな、と思うのです。)

さて、レンテンの村をさらに奥へ進んでいくと、何となくここが村の中心かな、と思える場所に着きました。人もちらほらいます。でも戸外で機織や藍染をやっている姿は見かけられません。うーん、季節が違うのか、それともここでは生産はしていないのだろうか、と思いながら、近くの人に機織のジェスチャーをしながら「はたおり」とタイ語で言ってみるけれど、ぜんぜん通じません。でもそのうちに、相手が「ファーイ、ファーイ」と言い始めました。ファーイとはタイ語(ラオ語はわかりません)で木綿のこと。もしかして……、と思いつつもその1つの単語にすがるように、「ファーイを紡いで糸にして織ってないですか?」と、完全ジェスチャーでやってみると、「うんうん、ついてこい」とのこと。行ってみると、家の中で、まさに機織をしている女性がいるではないですか。当たりです。写真も撮らせてくれました。


b0033537_17501152.jpg

木綿の白い反物を織るレンテン族の女性。幅は狭い、日本の着尺くらいだろうか


織り上がったものがあったら買わせて貰おうと思って聞いてみましたが、どうも手持ちの反物はないようです。「染めてるのは? この色になってるのは?」と、彼女たちの衣服を指さして聞いてみたけれど、それもここにはないらしく、残念でした。
また別の人が「ついてこい」と言うので行くと、今度は別の家で、奥から反物が出てきました。おお、ついに出ましたよ、レンテンの藍が。本当に黒に近い紺。家の中では完全に黒に見えますが、戸外で見ると藍にも見える(黒にも見えるけど)。やったー、ぜひ欲しい、譲ってほしいーっ!
この時点で私はすでに、30人ほどの村人に取り囲まれている状態でした。怖くはないけど、買わずには帰れないな、という気分ヒシヒシ。


b0033537_17514584.jpg


取り囲まれ、カツアゲされるわし。ウソです。単にみんな見てるだけ。びびってたので暗くてごめん

値段交渉はできればひっそりとやりたいんですけどね。
値段を聞いてみると、高い……!
もともとラオスは物価が高いのです。いや、ツーリストにとってはどうだかわかりませんが。でもちょっと高めじゃない? 少なくともバイヤーとしての私には、ラオスは高い。いいものだ、それはわかるのだけど、高い。米ドルでみんな計算してくる。これはおそらく、ある時期に欧米からのバイヤーが大挙して入り、こういうものの物価を吊り上げてしまったのではないかと思うのですが、どうでしょうか。タイと比較すると、同じようなものがかなり高く感じられます。が、これは私の感想であり、他のバイヤーさんは違う意見をお持ちかもしれないので、一応念のため。
値段交渉を始めますが、下がらない……!
村人たちも見ているので、おいそれと下げるわけにはいかないということもあるのかも。
取り囲む村人たちは、この村人がいくら儲けるのか知りたくて、興味深々で耳ダンボで目キラッキラさせてるし。

b0033537_1753241.jpg


別の村人も染めてないのを持ってやってくる。行きがかり上買いましたが…


渋っていると、奥からまた別の反物が出てきました。数がまとまると交渉のしようもあります。さらに交渉。なかなか下がらないけれど、全部でいくら、となってきて、ようやく「折れてもいいか」という数字になったので、潮時と交渉成立。
結局、この村では反物を4本購入することができました。値段と品質と、と考えると、高かったかな、もう少し交渉してもよかったかな、と思いましたが、帰るに帰れなくなりそうだったし……。村人に取り囲まれて、というのはシチュエーションとしてちょっと自分不利だし、いささか嫌な気分も味わいましたが……。ま、当初の目的の半分は達成できたので、よかったよかった。半分というのは、実際の藍染シーンを見ていないので、という意味です。

さてと。
レンテン村での収穫はこれだけでした。懐も寒くなったし、教えてもらった織りの村というのが別にあるけれど、とりあえずいったん宿に帰って、この反物を置いてから改めて出かけよう。そう思った私は、来た道を逆に帰り始めました。
こんなに反物を買うとは思わなかったので、空ザックを背負ってくるのを忘れ、買った反物はバイクの前カゴという非常に不安な場所に置いてあります。このカゴがまた小さくて浅い。
それでもゴツゴツ石の露出した山道をトコトコ走り、カゴを背負ったレンテンの女性を追い抜いたところで、道は下り坂に。おっと、慎重に慎重に……。
と、自分では十分慎重にスピードも落として下っていったつもりなのですが、見落とした石があったらしく、ビョンと前輪がはねて、その拍子にカゴの反物が、ポンポンっ、と、まるでマンガのように飛び出して落ちてしまいました。

b0033537_17543946.jpg


これが私を窮地に陥れたレンテンの藍だ。わかりにくいけど、ブルーの布の右下に、藍の布がある。埃まみれになったので洗わないと……

焦った私は、一番してはいけないことをしてしまうのです。ブレーキ……。ぎゅーっと握ってしまいました。
当たり前だけどタイヤがロック、そのまま横滑りしていきます……。
このへんはほんとにスローモーションのように記憶してるんです。
一瞬、右足一本で支えたっ! と思ったのも束の間、次の瞬間には支えきれず、重力の法則そのままに、右に倒れていってしまいました。
気づいたときには激しい衝撃と共にバイクは横倒し、自分はその横で、右膝と右手首で全体重を支える格好で落ちた後、非常に素早く立ち上がり、自分が巻き起こした砂埃の中、呆然と突っ立っておりました。
よく、バイクで事故に遭った人が、ぴょこんと立ち上がって何歩か歩いて、それからおもむろにうずくまったり倒れたりする、と聞きますが、これは人間の習性なのでしょうか。その瞬間に脳内興奮物質が出まくって、痛みより何より、「まず起き上がらなければ!」と思うのでしょうか。「立つんだ、ジョー~~!」という叫びが耳をつんざくのでしょうか。二足歩行を始めた人間の、それがDNAに刻まれた本能なのかもしれません。

と、いうところで、長くなりました&市場へ行く時間なので、続きはまた後で。
[PR]
by himalaya3 | 2009-03-07 18:14 | 2009ラオ・中国・ベトナム