カシュガル1988年6月



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1988年、まだ天安門事件も起きる前の中国の最果て、カシュガルの日曜バザール。
6月の初めだっただろうか。
暑いはずなのに、男たちがなぜこんなに厚着なのか・・・。

カシュガルの前に滞在したトルファンでは、連日気温は40度を突破し、地元の人たちも旅人も、みんなブドウ棚の下にだらだら居座って、葡萄酒やら汽水やら飲んでいた。この頃はまだミネラルウォーターなど、普通には売っていなかった。
ときどき大きなツアーがやってくると、夜、ぶどう棚の下ではウイグルダンスの宴が催され、私のような個人旅行者も紛れて見物することができた。

トルファンからカシュガルへは、2泊3日のバス路線しかなかった。
そのバスのチケットを買うのが一仕事。
当時はまだ「外貨兌換券」が存在し、列車や飛行機には「外人料金」が存在した。バスには外人料金がないハズだったが、トルファンのロバ小屋のようなチケット売り場では、ウイグル人のオヤジが「兌換券での外人料金」を請求し、連日旅行者たちと熱い戦いを繰り広げていた。
粘りに粘って、最後は人民元をカウンターに叩きつけるようにしてチケットを手に入れたのは、並び始めてから確実に2時間は経過した後だった(と思う)。

ベンチシート1列5人がけのバスはうんざりするほどボロで、よく故障した。夜明け前に出発し、その日の宿泊地に着くのは深夜11時前後。バス駅の旅社の汚いベッドで短い睡眠をむさぼり、また夜明け前にはバスの扉の前に集まる。
北京時間、北京夏時間、新疆時間、という3つの時間にも振り回された。扉の前で運転手が来るのを1時間待った朝もあった。
太陽にあぶられれば地獄のような暑さとなり、スコールがくればたちまち砂漠が濁流となった。村の停留所で下りて休めば、黒山の人だかりができた。スカーフをかぶった小さな女の子が、あやとりをしようと誘った。軒下で豆をむいている母親が、心配そうにちらちらとこちらを見ていた。
乗客は次々に変わり、太ったウイグルのおばさんが隣に来れば、こちらの尻は半分以上通路にはみ出した。赤や青に染めたゆで卵を山に積み上げて売っているのを、この太った隣人は何度となく買っては私にもくれた。

カシュガルにバスが滑り込んだのは、3日目の夜12時過ぎ。
全身砂だらけで疲れ果て、最後に隣に座った初老の男性に誘われるまま同じロバ車に乗り、「いちばん安い宿」と連呼して町外れのチムニバ賓館に行ってもらった。この男性はどこに行くところだったのか、私を乗せて遠回りになりはしなかったか。3元と決めて乗ったのだから私の払い分は1元5角。しかし男性は頑として受け取らず、私を賓館の鉄扉の前に残して走り去っていってしまった。
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# by himalaya3 | 2007-05-12 01:21 | 中国シルクロード・1988

再スタートします

ヤマネのブログにようこそ。
ここは以前、「軽井沢森暮らし日記」という名前のブログでした。
今、この森暮らし日記は別サイトで運営しています。

長く休眠状態にあったこちらのスペースを、新しい名前で再開することにしました。
題して「Travelling Days」。
どこにでもありそうなタイトルですが・・・(笑)。

1988年、昭和の最後の年に旅を始め、多いときは年間の半分近く、少なくなった今でも年間1ヶ月近くは旅の空の下に棲んできました。
発表した旅もありますが、ほとんどの旅はその機会もなく、記憶の中に埋もれていくばかりです。
きちんとサイトでまとめようともしましたが、なかなか先に進まず・・・。

写真を頼りに記憶をたどっていくことならできるかも、と、思い立ちました。

あまり系統立てていくつもりはありません。
場所も時間も飛びながら、作ってみようかと思います。
よろしければ、ときどき覗いてやってください。
よろしくお願いします!

ヤマネ記す

付記:)
2007年8月下旬から、このブログはFC2でも公開しています。両方まったく同じ内容ですが、エキサイトが新しい記事から表示されるのに対し、FC2は古い記事から表示されます。どうでもいいようなことですが、私個人としては、<次へ>で過去の記事に戻るというのが何か気になるので・・・(笑)
更新記事のチェックならエキサイト、過去のカテゴリをまとめて見るときはFC2、だと便利かなと思います。
2007/08/31 by yamane
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# by himalaya3 | 2007-05-12 01:02 | ごあいさつ