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# by himalaya3 | 2011-06-10 23:26

サパ・山間の少数民族マーケット

カンカウで花モン族のマーケットを見た後、バクハへバスで戻り、チェックアウトして、バスをつかまえ、ラオカイへ向かった。バクハを出たのは12時半頃だったと思うから、順調に行けば3時過ぎにはラオカイに到着し、そのままサパ行きに乗り継げるはずだ。
ところが、乗ったバスが壊れた。
その運転手が電話で呼んだ変なタクシーみたいなバンは、私ともう1人の乗客(女性)を乗せてラオカイへ向かった、のも束の間、ひっきりなしに携帯に入ってくる電話により、あちゃこちゃと寄り道。ラオカイまで2キロ、の表示を見たのも空しく、いっこうに到着しない。あちこち、寄り道。乗せたり降ろしたり。ラオカイに着いたのは、夕方6時過ぎ。サパへの終バスは行った後だ。ベトナム人・・・、一昔前の中国人と同じやなw
乗り合いのバンでサパへ着いたのは、その日の夜8時過ぎ。
土曜日の夜だった。

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選ぶ余裕もなく泊まった宿を一歩出た通りでは、赤ザオ族の女性たちがお土産を売っていた。中国側の金平で出合った紅帽ヤオとごく近い民族だろうと思われる。何せ金平とここは、50キロと離れてはいないはずだ。今のところ第三国人に開放されている国境が河口-ラオカイだから、我々が行き来するには1日がかりだが。


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こちらは黒モン? と赤ザオの人たち。市場の近くだ。



b0033537_17482468.jpg黒モンの人びと。藍が基調でそれほど派手ではない装飾をしている。彼らの黒い帽子みたいなものが気になって、歩き回っていたら、中に入れる竹の筒みたいなものを売っている人がいた。下の写真では、中に筒が入っているのが見えるかと思う。
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b0033537_1751211.jpg市場の食堂。小さな屋台の密集しているところだ。フォーやお粥が食べられる。

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b0033537_17552153.jpg野菜も売っている。市場だから当たり前と言えば当たり前か。



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きのこを買う人たち。男性の民族衣装着用率もけっこう高かった。


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すごい飾り物をかぶった人がいた。これも赤ザオのひとつの支系なのだろうか。よくわからない。


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市場の外、公園の近くでお土産を売っていた人。刺繍ものを買わせてもらった。


b0033537_17584163.jpgこちらはモン族になるのか。大きなベッドカバーに仕立てて売っている。これはタイあたりでもよく見かけるものだ。出所はこのあたりなのかもしれない。


b0033537_17593995.jpg黒モンの2人組み。公園の端に朝から晩までいた。腰に巻く帯のようなものを売ってもらった。


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赤ザオの人。すこし英語が話せて、刺繍の意味など教えてくれた。因みにこの人が着ているこのパンツ、今は私の手元にある。脱いでもらった(笑)。敵もさるもの、ちゃんと下にもう1枚着ていた。


外国人旅行者をがっかりさせないレベルのホテルやレストランがある町に、これだけ多数の少数民族があふれている光景は、ひじょうに不思議だった。彼らはなぜ、民族服を脱ぎ捨てないのか。町と村にはそれほどの隔たりがあるということなのだろうか。言い換えれば、いわゆるベトナム人と山岳少数民族の間には、それほどの経済的格差があるということか。おそらく、イエス、なのだろう。彼らが商売のためにあれを着続けているのだとは思えないから。

サパでは、あまりするつもりのなかった買い物をすることになり、ドンが足りなくなって焦ったが、おそるおそる銀行のATMでキャッシングしてみたら、ドンがざばざば出てきて驚いた。そういう町で、この溢れんばかりの少数民族である。やはり、不思議だ。

この町に来たらトレッキングをする人が多いだろうけれど、私はパスした。タイをスタートしてラオス、中国と回って来たためいい加減くたびれていたし、トレッキングはヒマラヤだけでいいか、と思ってしまった。またいつか機会があれば、ぜひ。

サパの次は、ラオスへ陸路で抜けるため、ディエンビエンフーへ向かう。その話はまた今度。
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# by himalaya3 | 2009-12-03 18:15 | 2009ラオ・中国・ベトナム

カンカウ、花モン族のマーケット

ラオカイからバクハまではバスで3時間。距離はないのだが、とにかく荷物の積み込みに時間がかかりすぎる。バスがいちばんいい輸送手段であるかぎり、この状態は続くだろう。かつての中国がまさにそうだったが、今ではバスに荷物を積もうとする人はほとんどなく、荷物による発車遅れやノロノロ運転のイライラからは解放された。ただし、満員になるまで出ようとしないので、別の意味でのイライラは残ったままだ。

バクハで下りたのは私とチェコのカップルと、途中から乗り込んだモンの人たちだけだった。このまま乗り続けたらどこまで行けるのだろう・・・、運転手に聞いてみたが、終点には泊まる場所がないとのこと。バクハで泊まることにする。サオマイ・ホテル、10ドル。ヨーロッパからの団体客で賑わっていた。

バクハのマーケットは日曜日に開かれる。当然バクハにくる人のお目当てはこれなのだが、私はここよりもさらに奥にある「カンカウ」という村で土曜日に開かれるマーケットに行こうとしていた。
当日の朝6時半、町の真ん中にある広場に行き、バクハから来るバスを待つ。来ない・・・・・・。バイクタクシーから声がかかるが、ラオスでコケて以来バイクはちょっと。待ち続けて7時半、ようやくバス到着。出発は8時。
山道をくねくねと走ること小一時間、本当にこのバスはカンカウに行くのか、そのカンカウは私が目指している市の立つカンカウか。そう不安に思い始めた頃、ようやく行く手にそれらしき建物群と人の群れが見えてきた。

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私が乗ってきたバスは、市場の横の道を通過してさらに先へ行こうとしているのだが、人ごみがすごくて立ち往生している。

以下、カンカウ・マーケットの写真をずらっと並べます。コメントは最後に。

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市場の全体像がわかるような写真がなかった、ごめんなさい。

山の斜面に開かれたちょっとした平坦地にトタン張りの小屋やシートで覆った露店、道路に商品を並べただけの店、それらがごちゃ混ぜになっているような場所だった。もちろん住み分けはしているが。
ここは花モン族と呼ばれるモン族の一支系の人びとの市場。周辺にはこの民族が多数暮らしている。もちろん他の民族も少しは混在しているだろうが、少なくともこのマーケットに午前一杯いた範囲内では、明らかに他民族とわかる人は(少なくとも女性は)見なかった。
モン族は中国では苗である。そう、今回の旅でも貴州省あたりで多数出会ったし、何より苗の刺繍を求めて中国へは行ったのだから、その流れとしてこちらの花モン族もどんなにかすばらしい刺繍の服を着ているのだろうか、と、ワクワク気分で出かけたのだが。

残念ながら、私がわくわくするような「よいもの」を身に着けている人は、もういなかった。
中国から流れてくるのか、あるいはベトナムで生産されているのか、化繊の布地、カラフルな飾り用テープ(日本では山道などと呼ばれるようなものも含めて)、刺繍柄をプリントした布地、などが大量に売られており、女性たちはその品定めに忙しかった。彼女たちが身に着けている衣服のほとんどは、こうして今風に飾られたものだった。うまく説明できるか自信がないが、布地を、その表面が見えなくなるほど飾りテープによって埋め尽くしていく、という感じの服が特徴的だった。
ごく僅かに、古い手刺繍の布や藍でロウケツ染めにした古い布なども売っていたが、これが驚くほどの高値だった。タイで購入するよりもずっと高くて、さすがに手が出なかった。よほどよいものがあれば高くてもとは思ったが、それほどまでに心魅かれるものには出会えなかった。

では、カンカウは面白くない場所か、行く意味などない場所か。
そんなことはない。これだけ多数の山岳少数民族が、今もこのフリフリで大ぼったい民族衣装を日常着として着続けている、それだけでもう、とてつもなくすごいことなのである。
それにカンカウは、団体旅行で来る外国人は多いだろうが、個人で訪れる人はまだ少ない。この日も個人でバスに乗ってここを訪ねた外国人は私だけだと思う。きのう一緒だったチェコのカップルは、同じホテルのオーストリアだったかの団体に同乗させてもらったと言っていた。バスもあり、けして行くのが困難なわけではないのだが、まだそれほど有名でもなく、そこまで足を延ばす理由はないと思う人が多いのだろう。

私がわくわくしなかったのは、これはもう職業病としか言いようがないことで、彼らにその責があるわけではまったくない。天然素材や手刺繍でなければ美しいと思えない私が特殊なのである。言っておくが、彼らはまったくもって美しい。それはもう、ほかにどうにも言いようがない。ただ、彼らのその美しい服は、私にとっては・・・・・・これ以上は言いますまい。

さて。
カンカウへ行ったはいいが、帰りもバスに乗らなければならない。さして大きな市場でもなく、買うものもないので、早めに切り上げたのだが、バスが来ない。朝私が乗ったバスが、いい加減引き返してきてもいいだろうと思うのだが、来ない。今日のうちにラオカイへ戻り、そのままバスを乗り継いでサパまで行くつもりなのだが、肝心の、この村を去るバスが来ない・・・・・・。バイタクで来ればよかったと1000回は思った。
待って待って待って、ようやく山道の上の方にバスが見えたときは、いやもうホッとした。市場に着いたのが8時15分頃、待ち始めたのが9時過ぎ、バスが来たのは11時半過ぎだった。
帰りもほぼ40分ほど。この山道はたいへんのどかで、バスに乗っていても楽しい。舗装もされている。
バクハに着いたのは12時15分。チェックアウト時間を過ぎているが、宿まで走って戻り、ザックを部屋から持ち出して「すまんすまん」とカウンターで謝ると、怒りもせずにすんなり見送ってくれた。

バスが来る広場に歩き出すと、私より後にカンカウに着き、先に帰っていたらしいチェコのカップルに声をかけられた。「もう行っちゃうの?」 もう、とは、バクハのマーケットが明日なのに、という意味である。私は今日中にサパまで行きたいんだ、と答えて2人と別れた。なんと忙しい日本人だろうと思われたかも。多分だが、カンカウを見たら、バクハはもう同じなんじゃないかと・・・。もちろんわからないが。もっと価格などがこなれていて、楽しめるマーケットである可能性もなくはない。
宿から広場への道は、カンカウ~ラオカイのメインルートにTの字に合流する。さっき私が乗ったバスが来たばかりなのだから、当分来ないだろう、そのへんでご飯でも食べて、と思いながら歩いていると、左からふらーっとバスが現れ、広場方面へ消えていくのが見えた。なんでっ? と思いつつも条件反射的に走り出し、広場の手前で停まっているのをつかまえて乗り込んだ。すぐに発車。超ラッキー、と言うべきか、腹減ったと言うべきか。

以下続く
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# by himalaya3 | 2009-09-29 22:07 | 2009ラオ・中国・ベトナム

ラオカイ・14年ぶりのベトナム

また1ヶ月近く更新せずすみません。こんなことでは、いつこの旅が終わるのか・・・・・・。

中国からベトナムへは、橋を歩いて渡っていく。橋の真ん中が国境か。早くもベトナム観光を終えた中国人たちがたくさん中国に入り、また、菅笠をかぶったベトナムの労働者たちも多数、中国に向けて歩いていた。逆に、ベトナムに向かう人間は多くない。

b0033537_1481145.jpg橋を渡ったところにあるベトナム出入国管理事務所(?)。ここで入国手続きをする。パスポートチェックだけで、ちょっと心配だった帰国用航空券提示も促されず、税関もノーチェックで、無事に入国できた。時間が早いせいか閑散としていた。
イミグレの中に入り込んできている客引きが、うにょうにょと下手な英語でうるさい。中国語しか喋れないと言うと、中国語で返してくるところはさすが。イミグレに銀行はなく、客引きたちが「あっちだ、こっちだ」言うのに散々振り回され、結局、銀行はイミグレの左、道路を渡ったところにあった。


b0033537_1413919.jpgユニオンバンク? なんたら農業銀行、である。ここで手持ちの中国元をベトナムドンに換えた。金平でもっとお金が必要かと思って多めに換えてあったので、元→ドンだけでこの場は大丈夫そうだった。
手持ちの元の束から200元だけよけて、残りをドンに。あ、この200元ですか、これはまたいつ中国に入るかわからないわけで、入国地点に銀行がないこともよくあることなので、まぁこのくらいは持っておくというのがこの際大人の分別というやつかと。3分前にのたまったことなどすぐに忘れる。忘れるから旅が続く(笑)。
さて、元からドンに換えたわけだが、私は昔から算数が得意ではなく、両替レシートを穴が開くほど見つめても、果たしていったい1ドンがいくらなのか、あるいは1円は何ドンなのか、わからない。これがわからなければ物価も何も・・・。両替担当のお兄さんに、「ところで、フォーは1杯いかほどですか」と聞いてみた。「え、これから朝食?」「はぁ、まぁ、そんなとこで」「それなら前の路地を行ったところの店がいいよ、1杯2万ドンだよ」
とのこと。2万ドンか・・・・・・。2万ドン、2万ドン、と。あちこちの物価から考えて、2万ドンが1ドルくらい、ってことかな。お礼を言ってその店に行き、牛肉フォーを食べた。たしかに2万ドン、前払い。テーブルにライムの切ったのが皿に入れて置いてあり、「あー、東南アジアに戻ったんだなぁ」とうれしかった。


b0033537_14164119.jpgバス駅までは変な電気自動車みたいなやつで。早速ぼられた。駅には切符売り場もあるが、買おうとすると「バスの中で買え」とのこと。時刻表には値段も書いてあり、私が行くバクハへは、それによると3万5千ドンだ。しかし運転手に聞くと5万ドンだと言う。出たよ、始まったよ、ベトナムが・・・・・・。
14年間ベトナムに来なかったのは、それこそありとあらゆる場所で足元を見られ、ぼられ、天文学的な数字を吹っかけられ、ほとほと嫌になったからだった。世界で唯一アメリカに負けなかった国、ベトナム。それがなぜだかが、実感できたような気がした。とにかくしたたかで、しつこくて、恥知らず、だったのだ。
また同じことの繰り返しになるのだろうか・・・?


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バス駅構内にいるバス。トラックも何台もいたが、全部が韓国製だった。ベトナムと韓国は、何か特別な関係にあるのだろうか。


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私の乗るバスに、不届きにもオートバイを積載しようとしているやつら。


b0033537_14272110.jpg隣に停まっていたバスに乗っていたかわいい少年。お姉ちゃんもいたのだけど、恥ずかしがって逃げられた。


b0033537_1428890.jpg必死に計算を重ね、ようやく導き出した答えがこれだ。1万ドンは53円。さっきのフォーは106円。うーん、高い、かな・・・。約35バーツと考えると、高い? 安い? 何日かはこの暗ちょこを見ながら、消えたら書き直して、旅は進む。

頭脳線がないですね、とか、生命線が・・・、とかの話はなしね。


b0033537_1430289.jpg発車前のバス。既に後方は荷物で満杯になっている。こんなに荷物が載っているバスを、久々に見た。


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バスは定刻10分遅れで出発。ほっ、まぁこの程度の遅れなら・・・。と思った私が甘かった。
バスは確かにバス駅は出た。しかし、ラオカイの町の中を走り回り、荷物を集め始めたのだ。集荷トラックなのである。あちこちで載せる載せる。いったいこの車の積載重量は・・・、などと考えたらいけない。考えたら怖くてバスになぞ乗れない。


b0033537_1433756.jpgいい加減に走り出せと思うのだが、この必死のおっちゃんを見ると、しょうがないなと思えてくる。ミカンが山盛り入った巨大カゴを、頭で屋根に押し上げようとするおっちゃん。


b0033537_14343679.jpgこれはラオカイから1時間ほど走ったあたりで、荷物と共に乗り込もうとしているモン族の皆さん。


b0033537_14351469.jpgこちらもすごい荷物の量だ。明日のマーケットで売る商品なのだろう。


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バスの中でもう席がなく、通路に積んだ荷物の上にちょこなんと座るモン族の方。
実は席はまだあったのだが、性格悪そうなベトナム人のばばぁが自分のバッグを隣の席に置き、絶対にどかそうとしないし、皆がそこを見ると「後ろへ行きやがれ」と言い放つのだ。ベトナムでも、やっぱり少数民族はダメなのか・・・・・・。


結局、バスは5万ドンだった。たまたま一緒に乗ったチェコからのカップルが、「5万ドンだって言われてるけど、あなたも?」と話しかけてきて、「うん、そう聞いてる。駅には3万5千って書いてあったけど」と言うと、「あぁ、ベトナムだからねぇ」と笑っていた。彼らはサパから来たそうだ。発車後に助手がお金を集めにきたのだが、ほかのベトナム人からも5万ドン取っていたので、しゃあないかと出した。後でわかったのだが、5万ドン出すともう少し先まで行けたらしいけど、まぁいいか。
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# by himalaya3 | 2009-06-22 14:55 | 2009ラオ・中国・ベトナム

河口・ベトナム国境の街と中国総括

金平を12時20分発の蒙自行きバスで離れた。マーケットは午前中よりも賑やかで、ちょっと後悔。次にくることがもしあったなら、その時はマーケットの夜も泊まろうと思う。
来た道を忠実になぞりながらバスはひた走る。3時ちょっと過ぎに蛮托の橋のトイレで休憩。運転手に「河口に行くのだけど・・・」と話すと「おう、橋の向こう側で降ろしてやるよ」と気さくに言ってくれた。「ここで降りてあとは歩いて橋渡れ」と言われるかもと思っていたので、よかった。ここまで17元。

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蛮托でバスから降りたところ。写真中央奥へ橋を渡り、右へ折れて、手前と奥の山の間へ入り込んでいくような形で、金平方向である。橋のこちら側、向かっていく方向が昆明方向、河口は後ろだ。
小さな軽バンのような車が数台客待ちをしていた。「35元でいいよ」と言ってきた男がいたが、やめておく。この手の車で長距離を走ると、途中で「もう行かない」とやられることがあるからだ(経験あり)。
乗ってきたバスの運転手は「3時半にバスが来るから、それに乗れよ、うまくやれよー!」と言ってくれていたのだが、それより早くミニバスが走ってきた。手を振って停める。降りる人もいた。河口まで40元、ちょっと高いけど交渉の余地はなさそうだ。おとなしく乗る。

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これが乗ったミニバス。助手席にイ族の女性が乗っていて、その子どもがエンジンルームの上でずっと爆睡していた。
実はこの蛮托、見上げると山の中腹を高速道路が走っている。まだ工事中らしく、昆明から蛮托へくる途中、何度も工事している現場を通った。蛮托を出たバスは、すぐに高速道路の真下に入る。右手には広い川。川岸に一般道路、斜面の上に高速道路、だ。斜面が切り立っていて川との距離がほとんどないので、バスは常に高速の真下を走る感じになる。
そしてこの道が・・・・・・。
とんでもない悪路だった。もはやこれは道路ではない、ただの、何だろう、ただの荒れた地面だ。工事用車両が無数に通り、荒らしまくった跡のなれの果てだ。暑いのに窓を閉め切らないと土ぼこりが容赦ない。窓を閉めたって入ってくるのだ。車内はもうもうと土ぼこりに満ち、4つのタイヤがそれぞれ別々の高度に乗っている状態を維持しながら、無理やり前進する。揺れる、などという次元ではない。はるか昔、西チベットでヒッチしたトラックの荷台と似ている。ほぼ同じか。あの時は揺れるたびにぽんぽんと宙に飛ばされて死ぬ思いをしたから、それよりはましだが。
延々と続く悪路。この道を寝台バスも通るのだろうか。アンビリーバブルだ。
やがて新街という小さな集落を通過したところで、わーお、バスは高速道路に乗った! このまま河口まで突っ走るのか、イェイ!
と思っていたら、南塀というところで降りてしまった。がっかりだ。
しかしここからの下道は、最初のあれよりははるかにマシで耐えられた。河口到着5時40分。蛮托から2時間20分だった。

b0033537_1794318.jpg元陽から河口へのバスに途中から乗った。これがそのバス。


b0033537_1829999.jpg現在の中国側出国地点。立派だ。

b0033537_1711246.jpg手前が現在の国境橋。奥に見えているのが、昔の国境橋、たしか線路もある橋だ。私がこの橋をベトナムから中国へと渡ったのは1995年の6月、もしくは7月初めだった。その時は列車でハノイからラオカイへ、国境まではバイクタクシーの後ろに乗り、この橋を渡って中国に入り、その夜に出る寝台列車で昆明に向かった。
今はもう、昆明~河口間の鉄道も廃止されてしまい、ここを国際列車が通過することは永久にないのだろう。


b0033537_17135673.jpg夕方の国境。もう通過時間は過ぎていたと思う。

b0033537_17141070.jpg中国の出国審査ビル。夕方の写真。


b0033537_1715946.jpg中国側の入出国ゲートのまん前の交差点。看板にベトナム語が混じっている。
b0033537_1715236.jpg右はすこし町中に入った路地のファストフードの看板。四川風味のぶっかけ飯が7元。


b0033537_1717957.jpg町で最先端をいっていると思われる一角。ぱっと見た感じ、非常に都会的である。若者が好みそうなジーンズやシャツなどを売っていた。


河口にはたくさんのホテルがある。国境ゲート近くにはいわゆる旅社・招待所クラスもたくさんあるし、バス駅の周辺には高級ホテルも軒を連ねている。中国最後の一夜、バス駅近くの賓館がキャンペーン中で、通常150元のシングル部屋に70元で泊まれると言われたので、ここに決める。いわゆるちゃんとしたホテルだ。床はカーペットだし、ベッドのほかに小さいテーブルと椅子もある。日本のビジネスよりちょっと上、という感じだった。熱いお湯も豊富に出てうれしかった。
最後の食事は路地にテーブルを出していた小さな小さな食堂で。積んである野菜の中から選んで、トマト卵スープとご飯、それにきゅうりと肉の炒め物を作ってもらう。小学生の女の子が美しい普通語を話し、帰るときには親に促されて「サンキュー、グッドナイト!」と英語で挨拶してくれた。

b0033537_17195849.jpg朝、国境に向かっていると大量のミカンを積み上げた場所があった。これからベトナムへ輸出されていくのだろうか。それとも逆なのか。経済力としては中国のほうが上だろうから、物はベトナムから中国へ流れそうな気もするが、高くてもいいものがほしければその逆もありなのだろうな。


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朝早く、まだ8時の国境であるが、すでにベトナムから帰国したと思われる中国人団体がわんさか入国の列に並んでいた。おそらく、ハノイからの夜行列車で着いてそのまま国境を越えてきたのだろう。



さてさて。
今回の中国は、2000年に四川~甘粛~青海~チベットと旅して以来、8年ちょっとぶりの訪問だった。あ、去年2日だけラオスからモンラーに入国して帰ったのはあるが、これは省略していいだろう。
その間に中国の経済は大躍進を遂げた。かつては捏造数字大国であったが、今では国内的にはともかくとして、世界もその力を認めざるをえない、ほんものの大躍進を遂げたのだ。昨年は北京オリンピックもあり、様々な問題がありながらも、一応は成功させた。大きな地震に見舞われたが、それも何とか国の力で回復させつつあるようだ。
今回、雲南から広西、貴州、また雲南と旅をした。昆明と桂林、凱里を除いては大きな町は訪ねず、あまり外国人も訪れない、見るべきものもさしてないエリアを動いた。いや、見るべきものはあるのだろうが、外国人が好むものとはちょっと違うというか。例えば同じ雲南でも大理や麗江に向かうルートとは、ツーリストの数は100倍あるいはもっと、開きがあるのではないかと思えてしまう。
そんな、言わば改革開放に乗り遅れた感の強いエリアを旅したのだが、ひとことで言えば、中国、見てくれは少し変わったけれど、なんも変わってない! という感想を持った。町並みは少しずつ変わっている。走るバスも変化した。昔ほどひどいバスはもう走っていないし、数もうんと増えてようやく需要に見合う供給に近づきつつあるのではないか、それを証拠にバス駅でも列車駅でも、かつてのような無法な振る舞いはあまり見かけなくなった。
それでも、「厳禁吸煙」と大書されたバスの中で、運転手筆頭に男は全員、煙草を吸う。相変わらず痰をそこいら中にまき散らす(ただし都会では若干その比率が下がった)。相変わらずゴミは自分の手元から去ればいいだけなので、車内でも駅でも足元はゴミ溜めである。便器以外の場所で用を足すのも相変わらず、子どもは道路でもどこででも小も大もするのも相変わらず。大声でわめき散らし、隙を見せれば何人もがハイエナのように群がって来、マナーだ道徳だなんていうものは端から持ち合わせておらず、傍若無人で我儘勝手。
そうなのだ、つまり、何一つ変わっちゃいないのである。
それなのに、物価だけは高騰した。
供給が増えた、その一点で旅は昔よりはしやすくなったと思う。だけど、それだけなのだ。登場してくる中国人たちは、まるで変わらない。昔、『粗にして野だが卑ではない』という本があったが、それに倣えば、祖にして野にして卑、なのである(それなのに物価は高いのだ・笑)。

昔、そう、20年前であったなら、粗にして野にして卑な人民たちであっても、どこかで「それもしょうがないな」と思わせるものがあった。国全体が、そうでなければ生きられないのだと私をして納得させるほどに、モノはなくカネもなく・・・、だったからだし、貧しさの共有、みんな同じようなもん、といった空気が社会にあって、それゆえに人は今よりは大らかだったと思う。粗で野で卑だけど、だけどだけどだけど! という何かがあった、それを言葉で説明するのはすごく難しいのだが、あれは何だったのだろう、そう、つまり、あの頃の中国は、社会主義国だったのだ。まぎれもなく。だから許容できた、納得するしかない、と思えたのか。どうしようもない、誰にも動かしようのない壁があって、それがつまり国の体制というもので、その壁の手前で私も人民たちも同じように日々うごめき、怒り、無駄に手足を振り回していた、のだ。その意味では、どこかで彼らに対する「一緒だもんな」という意識を、持ちえていたのかもしれない。もちろん当時だって中国ではいつもいつも怒っていたのだけれど。
今の中国は社会主義国ではない。ニセモノの社会主義というか、新社会主義、一党支配だけど資本主義、という矛盾した体制。社会の末端はまるっきり、剥き出しの資本主義である。変わっていい、変わることがもう許されている、現に上海や北京はどんどん変わっていく、それなのに、「どうしてアンタたちはダメなんだよ、変われないんだよ!」という歯がゆさや、直裁に言えば怒りみたいなもんがある。どうしてだよ、どうしてだよ! と思ってしまうのだ。あるいはその変化というものが、あくまで金集めに狂奔しとりあえず集めた金でマンションを買い車を買い服を買い、豪奢に暮らすという方向には向かうのだが、文化や教養といったもの、公共道徳やマナーといったもの、これに関してはあまり目立つ変化がない、ということへの苛立ちなのかもしれない。
もう、金輪際、この国には足を踏み入れたくないと、何度思ったことか。何をそんなに怒っていたのか、幻滅していたのか、旅から数ヶ月過ぎるともうよくわからないのだが、それでも何度もそう思ったことだけは確かだ。もう、うんざりだった。見なくてもいい景色なら、見ずにすませたい。わざわざ汚いものを見に行って、疲れ果てるなんてばかげている。それにもう、自分が見たいものはこの国にはないのかもしれない。もういい、もう中国はいい。もう十分旅した。
致命的なトラブルというのは思いつかない。そんなものはこの旅にはなかった。だけど小さなこと、毎日毎日この国で生きている限り目にするありとあるものが、自分には許容できず、それがボディブローのように効いてしまった、のだろうと思う。
いつかこの国の人間の9割が、「公共の場で痰を吐くのはよくないことだ」と思い、また、「人前で鼻の穴に指を突っ込むのは恥ずかしい」と思い、「トイレでは便器で用を足して流さなきゃね」と思うようになる日が来たら、そのときには行ってやってもいい。来てくれなんて言われてもいないのにえらい暴言だが、中国にいるときの私の本心といったら、まぁ、こんなようなものだった。

国境を渡ったら、いま持っている中国元は全部ベトナム・ドンに変えてやる! なぜなら、私はもう二度と、中国には来ないのだから。元なんて用はないのだから。河口のホテルで、国境を流れる川を眺めながら、私はそう固く決意した。長きに渡って彷徨った中国だが、もうお別れだ。それでいいだろう? と自分に聞くと、自分は何の迷いも見せずに「イエス!」と答えた。

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橋の向こうはベトナム、ラオカイだ。
いざ行かん、14年ぶりのベトナムへ。さらば中国、二度と来ねぇぞ!


※中国、中国の人に対するひどい言葉の数々、ごめんなさい。何もかも、わたくしという人間の懐の浅さであり、器の小ささがもたらす拒絶反応であります。嫌なら行くな、その言葉の通りであります。反省します。
中国、これほどまでに大っ嫌いでありながら、その反面、どうしようもなく好きな国は、私にはほかにありません。
どうかお目こぼしをお願いいたします・・・・・・。
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# by himalaya3 | 2009-05-28 18:41 | 2009ラオ・中国・ベトナム