金平・少数民族のバザール

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この紅い頭巾の人びとに会いたくて、2年越しで到着した金平。これは定期市でない日の市場の奥。おばあさんが孫を連れて買い物していた。

去年もここ金平へ行こうとして、市のスケジュールも完璧に調べてラオスから中国に入ったのだが、いろいろとあってたどり着かなかった。その時は、国境沿いにバスで最短距離を行こうとしたのが、おそらく失敗だったのだろうと思う。いや、普通の旅人ならオーケーだろうと思う。たまたま腰が悪い自分が無理な長距離移動を試みたからダメだったのだ。

今年は昆明から金平への直通バスを使うことになった。途中の元陽あたりも寄りたい場所ではあったが、残念ながら市のスケジュールが私の日程とはまったく合わず、それなら一気に金平まで入ってしまおうという気になった。この時点ですこし風邪を引きかけており、腰にも疲れがたまっていた。
昆明のバス駅はいくつもあり、そのどこででも金平行きがあるのかどうか、調べていないのでわからない。私が乗ったのは、昆明駅から北、昆湖飯店方向へすこし歩いた左側にあるバス駅だ。因みに昆湖飯店は昔のドミはなくなり、80元のトイレなし部屋があった。
このバス駅からの金平行きは一日三本。窓口で「一番いいバス」と聞くと、朝10時に出るバスだという。残り2本は寝台バスだ。服務員を信じて昼間のバスに乗ることにした。

昆明から石林までは高速道路で信じられないくらい快適な道。しかし石林からは一般道しかなく、片側1車線のごく普通の国道を進む。驚いたことに、広州から昆明へのバスはこのルートを来るらしく、何十台もすれ違った。途中の弥勒は巨大マンション郡の建設工事に驚き、開遠は町のあまりの巨大ぶりに目を見張った。ここで運転手交代。呆れるほどに喋り捲る運転手だったのでほっとした。アジアは「喋る運転手」に悩まされることが多いが、それにしてもこんなにパワー全開でまるで芸人のように喋り倒した運転手は他にいない。
この開遠から箇旧のあたりは標高が低いのか非常に暑く、道端でもさとうきび、みかん、びわ、バナナ、パイナップルを売る露店が目立った。
元陽への道を右手に見送り、道路の行く先表示は「河口」一つに絞られる。時折ひどく悪くなる道路を、ともかくひたすらに南下していく。大きな谷の左岸をひたすら下っていく。
やがて蛮托という小さな集落に着き、ここで直進する河口への道と分かれ、今まで下ってきた谷を対岸に渡る。渡ったところで二度目の休憩、午後4時40分。

対岸を引き返しながら進み、やがて支流に入っていく。ここからがとんでもない山道の連続。ひたすら沢を詰めては渡って引き返すことの繰り返し。吐いてる人多数。
うんざりするくらい時間がかかる。ひたすら登っていく。寒くなってくる。やがて山を乗り越したあたりが阿得博、大賽という場所もあった。農業は~に学べ、という標語を思い出した。ここではないが。
しばらく行くと、水牛を追っている紅頭ヤオ族を見かけた。初めて見た。
さらに行くと、毛皮のようなものを背負った人々を見た。原始人だ。
さらに行くと、集落の片隅で集まって刺繍をしている紅頭ヤオ族を見た。売ってくれ!
夕陽はとっくに山に沈み、あたりは暗くなってきた。道はバスがすれ違うわけにはいかないほどの狭い山道。トイレ休憩からこちら、通過するのは小さな集落ばかり。この先に本当に金平などという町があるのだろうか? と不安になってくる。あるにはあっても、宿もない、今通過しつつあるような小さな集落だったらどうしたらいいのだろう。宿があるという情報はどこかで見たような気がするし、そもそもバスが日に3台も行く町なのだと思ってはみても、それにしても山道が寂しすぎる。この先に大きな町があるなどとは、とても思えない。
そして、バスはあえぎながら最後の峠を越えた。あとは下っていくらしい。と、遠くに大きな町が見えてきた。金平、こんなあほみたいな山道の先に、なぜこんな町があるのか。
金平バス駅着、午後7時ジャスト。もう暗い。昆明から9時間かかった。
バス駅付属の宿に泊まることにする。1泊50元のところ交渉して35元にしてもらう。夕飯は駅の広場に出ていたミーシェン屋で。1杯7元だった。

翌日、バス駅の服務員に市の情報をいろいろ教えてもらった。「ときどきカメラを持った日本人が来るわ」と言っていた。「ふーん」と答えると、「祖先の写真を撮りに来るのよね」と言う。「え?」と聞き返すと、向こうが驚いたように、「え、知らないの? あなたたちの祖先はハニ族なんでしょ、だからここまで来るんでしょ?」とのこと。うーん、そういう話を聞いたことがあるようなないような・・・。照葉樹林帯がどうたらこうたら・・・。忘れたなぁ、なんもかんも。
それはともかく、この時期はもう農作業が始まっているので、朝行かないとだめよ、とのことだった。

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普通の日の町の中。左は市内循環バス駅近くのさとうきび露店。いつも賑わっていた。右は私が泊まったバス駅から市の開かれる場所に向かってゆるゆると登っていく道の様子。町は斜面に広がっており、どこからどこまでなのか、よくわからなかった。


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左は別のバス駅。金平には私が知るだけで2つのバス駅があった。どちらもちゃんとしたバス駅で、昆明行きもどちらからもバンバン出ている。
右はバス駅ホテルから撮った裏側の様子。マンションやらいろいろ建設中。マンションは、窓も何もないがらんの状態で購入し、それから窓とか鉄格子とかつけるらしい。まるで建設途中で放り出されているかに見えるこの右手のマンションも、ちゃんと住んでいる人がいるから不思議だった。

市は6日に一度。
この日を逃すと残念だが、近くでは毎日どこかで市が開かれている。スケジュールはバス駅や宿の人に聞けばわかるはず。私の場合は2日待って金平一つに絞った。腰が悪いので・・・。
さて、いよいよ市の日だ。朝から賑わっている・・・、と言いたいところだが、朝はそれほどでもなかった。それでも8時過ぎるとだんだん人が増えてきて、金中農貿市場は賑やかになってきた。カゴを背負ったハニやヤオの人もたくさん歩いている。楽しい。

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生きたニワトリを売っている。中国では当たり前の光景だ。
右は市の日の市場で、最初に撮らせてもらった紅頭ヤオ族の人。野菜を売っていた。1束1元。後で娘さんに聞くと、おん年90歳だそうだ。


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左はハニ族の人たち。藍染めの布を売っていた。自分たちの服や帽子にするための布だろう。多くのハニの人びとが物色していた。私も布を1巻買い、撮らせてもらった。藍染めのようだが、藍色ではなく、茶が強く出ている。ばいせんによる色なのか、それとも・・・? あるいは藍ではなく、はじめから茶に染めるためにまったく別の染料を使っているのかもしれない。このあたりはハニの人びとと言葉が通じずよくわからなかった。
右は糸を売っている店。木綿のかせを売っている。これを織って布にするのだ。大勢のハニ、ヤオの人びとがここでも品定めに夢中だった。


b0033537_16331276.jpgうぉお、この人たちに会いにはるばるやって来たのだよ。紅頭ヤオ族、近年お会いした中国の少数民族の中では、並外れて美しく着飾る人びとだ。


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我慢できず、布をまた1反買って写真を撮らせてもらった。スキンヘッドにかぶる紅い頭巾も売っていて、やり方も教わったが、とても複雑だった。この女性の頭巾の中には、ちゃーんと芯が入っている。


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照れるオバチャン(などと言いつつ私より年下だと思われ)にくるっと回ってもらった。それにしても美しい。刺繍は残念ながらだいぶ粗くなってきているが・・・。


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毛皮を背負った原始の人、いえ、ハニ族の方発見! 後ろから失礼して写させてもらう。
右は別の場所で撮ったこちらも毛皮を背負うハニの方。豚を囲んで何人かで談笑中だった。


b0033537_16404921.jpgこれは苗族だろう。さとうきびを品定めしていた。



たくさんの布を見せてもらい、刺繍した衣服なども見られてとても楽しかった。でも中国は、物価が上がりすぎた。たとえば刺繍したズボンが300元と言われると、4500円強なのである。いや、金額が高いのではない。金額に見合う品質ではない、ということが言いたいだけだ。
非常に残念なことなのだが、少数民族の人びともそれなりに飾ってはいるのだけれど、昔のような手の込んだ装飾ができているわけではない。昔であれば、手織りの木綿に絹または綿の色糸で細かな刺繍をしていたのだろう。けれど今は、化繊のクロスステッチ用の粗いガサガサした布に、蛍光色の毛糸で刺繍してしまう。出来上がるものは遠目にはとても綺麗で魅かれるのだけれど、近くで見ると「うーん」と思わざるを得ない、粗くて稚拙なものになってしまう。
苗族にいたっては、刺繍ではなく、刺繍柄のプリントのスカートでもう満足しているようだ。

人のことを言えた義理ではない、というのはもちろん、重々承知の上である。私たち日本人も、きものを捨てた。せめて何とかしてきものを着てもらおうと、二部式を編み出してみたり、汚れても大丈夫な化繊のものを作ってみたり、手縫いをやめてミシンに切り替えたり、様々な工夫を凝らしている。自分の衣服のために、それほどの手間隙をかけられる時代ではない。
それと同じことが中国の辺境でも起きている。もう刺繍や装飾に昔ほどの時間も情熱もかけられない。仕事も忙しいだろう。今の中国では、お金がないのは死んでいることと同じだ、とよく聞いた。男も女も現金を手に入れることに忙しい。刺繍なんて、たしかに、してはいられないだろうな・・・・・・。
そういえば、くる途中の山道で、民族衣装のまま急斜面を伐採した無理やりの畑にしがみつくようにして、苗木(形から考えておそらくパパイヤだろうと思う)を植えている少数民族をたくさん見かけた。ある場所ではそれはハニ族であったし、ヤオ族もタイ族もミャオ族もいた。
それでも、形を少々変えても、まだこの民族衣装を守っているのはすごいことなのかもしれない。

満足した部分と、何か足りないと思う気持ちと、両方を抱えて金平を後にした。
バス駅からは市場を通ってから町を出て行くことになる。私が立ち去ってから1時間ほど経った車窓から見下ろす市場は、さっきよりも格段に賑やかになっているように見えた。うわっ、残念。と思いながら、いや、残念だまた来たいと思うから旅は続くのだと思ったり。そうして来たときと同じ山道を、ずんずん進んでいった。


※表示がずれてしまうかもしれません。お知らせいただけるとたすかります。
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# by himalaya3 | 2009-05-07 17:09 | 2009ラオ・中国・ベトナム

凱里・貴州省 2009旅日記の7

西江も苗族の村だったが、次に向かう凱里も別の意味で苗族の街である。
凱里は都市なので漢族も多いし他の民族も混じっているので、西江ほどの際立った苗の街ではない。別の意味で、というのは、凱里というのがこの近辺で最大の都市であるため、近郊の苗族たちの文物がここに集まってくるだろうという意味だ。

中国のこの地域に暮らす苗族は、すばらしい刺繍の文化を持っている。この人々の刺繍の美しさときたら、それはもう、他に類を見ないと断言できる。もちろん、いいものは、である。昔も今も駄物はいくらでもある。
もう何年も前に、バンコクのとある場所で中国から流出した苗の刺繍布を見たことがある。大げさではなく、鳥肌が立った。インドのカンタもいいけれど、これはまた別物だ。欲しかったが、当時確か10万円ほどだったと思う。まだ駆け出しの布屋だった私には、1枚の布に払う金額としていささか大きすぎた。仕入旅の終盤で、資金が尽きかけていたというのもあったか。ともかく買わなかった。今も夢に見る。後悔する。二度と出会えないし、私の手元にやってくることは絶対にないだろう。ああ・・・。

そのようなこともあり、一度中国のこの地域には行っておかなければと思っていた。
正直に言うと、いいものはもうないだろう、と覚悟していた。良品はすべて国外または国内のコレクターによって持ち出されており、現場には残っていないだろう。それでも、それを確認するためだけにでも、行きたかった。

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ここがそういった刺繍などを売る露天商が集まる市場。市内からタクシーですぐだった。そんなに賑わっているわけではない。土曜日だったからかもしれない。


b0033537_17311986.jpg閑散とした市場で半ば呆然としていると、おじさんに誘われた。「ウチに来ないか、たくさん刺繍を持っているよ」。そんなに怪しい感じではなかったので、ついていくと、寂れたアパートの一室に連れて行かれた。そこで刺繍をしていたおじさんの奥さん。西江鎮の出身だそうで、ということはその地の刺繍をしているのだろうと思われる。残念ながらおじさんは「たくさん」は持っていたが、「駄物ばかりたくさん」であったので、何も買えなかった。


b0033537_1734293.jpg市場に戻って、それでも何か探したいなとがんばって見つけた刺繍がこれ。この男性はほかの売り子たちに囲まれて、すっかり「さらし者」状態、ちとかわいそうであった。値段交渉から何から、とにかく全員が取り囲んで圧力をかけてくる。というのは冗談だが、値段も何も全員に筒抜けなのは確かだった。


バイヤーとしてはともかく、旅行者としては、楽しい市場だと思った。古いものもたくさんある。苗の刺繍だけではないかもしれない、ちょっとよくわからなかったが、いわゆる骨董の類もいろいろと売っていた。銀の装飾品も有名で腕輪やネックレスなどたくさんあった。アクセサリーが好きな人なら楽しめるかな。刺繍系で旅行者が買うなら、かわいい子供用の帽子とか、刺繍してある布靴とか、になるだろうか? あるいは壁掛けなどにできそうな、一点ものもいいのかもしれない。値段は・・・・・・、行って見てのお楽しみということで。多少は交渉したほうがいいかと思う。
凱里からは例の観光地・西江も1時間ちょっとの距離だし、ほかにも台江、施洞など有名な刺繍の村も日帰りの距離にある。わざわざそのためだけにここに来る人は稀だろうけれど、貴州の観光といえばまず凱里ははずせないだろう。因みに、1つくらい有用な情報を。この文物市場は、金曜から日曜の三日間開催されている。近く場所が移るよ、と店を出している人から聞いたが、はっきりとは決まっていないそうだ。


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凱里の中心からは少し離れるが、それでも賑やかなエリアの様子。昆明ほど驚くような近代都市ではなく、西江のようなオモチャのような作り物の町とも違う。なんだか好感の持てる街だった。
右は泊まったところ。この街も、「賓館」以上でないと外国人は泊まれなくなっている。数年前までは大丈夫だったようなのだが。今はパスポートチェックも厳しい。

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小奇麗でおいしかったので通った「理想麺食店」。普通の麺類が5元からだった。安価なファストフードといった感じ。
右は路上で座り込むトウガラシ売り。貴州省も辛いもの好きな省である。


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凱里を離れるキップを買いに駅に行くと、すごいことになっていた。この前に、町の中にある列車のキップ売り場にも行ったのだが、長蛇の列であきらめたところだった。春節はもう終わりに近いのに・・・


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さらにわかりやすいサービス写真。行列もすごいが、並んでいる人と人の密着度がまたすごいんだ、中国は。こんなにくっついていて、よく大丈夫だなぁといつも思う。
上の写真も一緒に見てみると、行列の前の方に青い大きなテントがけの部分が見える。ここが特設キップ売り場。「全力で皆さまの春節帰省を支援いたします!」的な横断幕が貼られていた。この並んでいるのは全員がキップを買いに来ている人たちだが、この分では私は列車に乗れそうもない・・・・・・。

と思ったのだが、警備についていた解放軍の兵隊によると、「中に行けば買えるんじゃない?」とのこと。半信半疑で駅の中に行ってみて、ためしに聞いてみたらキップがあった。さっぱりわけがわからない。
まぁ、春節の終わりで人々が帰るといえば、ほとんどが沿海部に向けて帰るのだろうから、私は逆方向ということでキップがあったのかも。因みに買ったのは翌日の寝台だ。昆明行き、208元。

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上海からやってきた昆明行き。途中から乗るわけだ。寝台は、寝具も何も前の乗客がぐちゃぐちゃにしていったっきりで、交換とかそういうことは「ありえない」。向かい合わせの6人分、すべてこの駅までに乗客が降りており、全員ここから乗り込んだ。昆明まで1晩、14時間ほどの移動になる。
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# by himalaya3 | 2009-03-21 18:03 | 2009ラオ・中国・ベトナム

千戸苗賽・西江 2009の旅の6

榕江の天下第一トン賽に打ちのめされた私は、最後にもう一度きなこ餅を食べて、昼過ぎにこの町を後にした。次に目指すは西江という村。静かな苗族の村、のはずである。何でも山間の斜面に広がる素朴な村で、そこには100年も200年も前のままの暮らしや時間の流れがあるのだそうだ。
西江に直接行く事はできないので、凱里行きに乗って雷山というところで途中下車する。この雷山まで128キロ。舗装はされているが細いくねくねの山道である。
昔の中国の公共バスは、2時間おきくらいにはトイレ休憩をしながら進んでいったと記憶しているが、最近はどうも違うようだ。あくまで運転手の気分次第というか。この日もまったく停まらずに100キロ以上走り、残り20キロを切ってからトイレ休憩があった。いつものことで慣れっこではあるけれど、すごいトイレだ・・・。私の親なんかを連れてきたら怒り出すだろうな、と思う。
さて、バスは雷山に入った。すさまじくえげつない街であった。
小さな川を挟んだ両側に、少数民族風味の新しい3階建てくらいのビルを建てまくっている。多分ここは、来年には巨大お土産屋さん街と化すのだろう。もちろん経営者は全員漢族だ。
それはともかく、バスは目抜き通りっぽいところで2人の客を降ろした。私も下りたほうがいいかと思ってそわそわすると、横に座っていた人が「まだ着かないからー」と言う。その声に振り向いた運転手も私の顔を見て、「まだだから座ってな」と言う。バス駅は町はずれにあって、きっとそこに入るのだろうな。
しかし、ずいぶん町はずれにあるんだなぁ、ほんとに町はずれに。
・・・・・・、っておい、街出ちゃったじゃないか、いくらなんでもおかしいだろ!
「停まって停まって!」
叫ぶとバスは停まった。運転手に「雷山のバス駅に行くんじゃないの?」と聞くと、「え、あんた凱里へ行くんじゃないの?」ときました。
「違うよ、キップだって見せたじゃん」
「ともかく降りて」
「降りてって、ここからどうやって引き返すんだよー」
「うーん、わからないけど・・・・・・」
ともかく降り、ザックがボディに入れてあったのを運転手に出してもらいつつ憤然と立っていると、
「ここで降りるってことは西江へ行くの?」
「そう」
「西江はいいとこだ、すごく有名な観光地だよ、ここから30キロ」
「あ、そう」
「あんた日本人だろ、中国語うまいねぇ、聞くのも話すのもうまいっ!」
その手にゃのらねぇ。あたしの中国語なんざうまかねぇ。
するとそこに、ウソのようにタクシーが通りかかる。取りあえず止めなきゃ、とそっちに走って交渉している間に、バスはすたこらさっさと逃げていきましたー・・・・・・。

そんなこんなで、雷山から西江へ向かうバスが発車したのは、夕方5時近かったかな。わずか32キロ、1時間もあれば着くはずが、これまた細い山道をとことこ走る上、途中で乗客の買い物を待ったり(またこれが生きた鶏だったりする)、いろいろしていたおかげで、途中で日が暮れた。すっかり暗くなった山道を登り、尾根を乗り越えたところで、前の方にいた中国人観光客から「わーっ」という歓声が。何ごとかと反対側の窓を見ると、そこには斜面に点在する温かなオレンジ色の光が。あれが西江なのか・・・。

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最初に見たときのイメージはこんな感じだった。光が強すぎるとは思ったが、それなりにきれいだったし、たどりついた夕間暮れに見たので感激もした。


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近づくとこんなケバいことになっていて、言葉を失う。つまりこれが、This is China ということだ。


最初に聞いた宿は20元。遠い昔、ネパールの山小屋がこんなであった、という感じの超狭い部屋に無理やり板作りのベッド、列車の寝台よりはましだけどというくらいの代物が入っている。トイレもシャワーももちろん外である。これで20元というのは、いくらなんでもボリすぎである。
さらにさがして歩いていくと、こんな宿が。ここは40元だが室内に一応ちゃんとしたベッドがあり、トイレシャワーも付いており、テレビもある。なんとwifi という無線LAN もあるそうな。
b0033537_20454427.jpgこれがこの日の宿。「有家ゲストハウス」だそうだ。こじゃれた造りになっており、中もすっかりこじゃれていた。カフェっぽくなってるのだ。部屋は2階と3階。清潔でシャワーもガンガン出てよかったが、一つ難点が。室内とバスルームを仕切る壁が、全面ガラスなのである。カップルならいいかもしれないけど、それにしてもどうなのよ。
ここにはバスで一緒だった上海からの観光客も来ていて、私を日本人だと知ると、「中国へ、西江へようこそ!」と満面の笑顔で言われた。この台詞、流行ってるのかな? まぁこの人たちは英語で言ってくれたけど。

食事に出かけて一軒の食堂に入ると、メニューはない。適当に言って作ってもらう方式。炒め物の値段を聞くと20元と言うので、そんなに食べられないからと言って15元に下げてもらい、スープが7元ということで手を打ち、食事をした。清算の時にいくらか聞くと「30元」とすまして言う。30元ってあんた・・・。おかずとスープで22元だ、残り8元が飯だっていうのか? 小さい茶碗1敗の米飯が8元か? いい加減にせえよ。結局24元ということになったが、いやもう、腐ってると思った。

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翌朝の町並み。明らかに新しく作った町、メインストリートだ。と思うのだが、どうだろう。山の中に突然出現する村に、こんな広いストリートは必要なかったはずだと思うのだが。もし昔からこうだったのなら、それは私の完全な勘違いである。
建物は移築したのだろうか、それとも新しく作って古く見せているのだろうか、私にはわからななかった。


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斜面の上の方にあるのが、おそらく、昔からの村なのだろうと思われる。でもそちらも新築ラッシュ、建て替えラッシュ。たぶん、これは推測だけれど、政府が大規模に補助金を出して建て替えさせているのではないだろうか。きれいな苗族の村、ということで、西江はいま、世界遺産登録申請を出しているのだそうだ。

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町の中心を少しはずれたところで、ちょっとした食べ物を売っている人々がいた。苗族の人たちだ。
右がきなこ餅(ただしきなこは餅の中に入っている)を買った店。けなげな少女が店番をしていて、途中から弟だろうか、手伝いにやってきた。なかなか感心な姉弟ではないか、こうして一家の暮らしの一部を担っているのだなぁ・・・・・・。
と思いつつ、いくらか聞くと、3元だという。
こらーっ、どこをどう押すと、これが3元だっつう台詞が出てくるんだ? 榕江じゃこの倍の大きさの餅が1元だぞ、3元って、どういうことだよ、まったくとんでもないガキどもだ。まじで腐ってる。
(最初に確認しなかった自分が悪いのです、それはよーくわかっているし、あくまで観光地値段ということで何もかも高めなのだろうとも、わかっちゃいるのですが・・・)


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左は漢方薬を売る露店。
右は町の下の方にあった市場のようなもの。あまり賑わってはいなかった。


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馬がかわいかった。
右は種屋の看板。メインストリートに面した店はすべて同じ看板で統一されていた。素敵だけどね、いいとは思うけどね、なんかちょっと違うような気もするんだ・・・・・・。


b0033537_214013.jpg町の真ん中に作られていた広場の隅で、観光用の貸衣装屋が店開きの最中だった。この広場はおそらく観光シーズンには毎日毎晩歌と踊りのショーが繰り広げられるのだろうと思われる。振り向いたおばさんに発見された私は、この後1分ほどこの衣装をつけて写真を撮れ、それが嫌ならせめてかぶりものだけでも、と迫られて困った。

b0033537_2141493.jpgこれはただのとうもろこし。これも風味作りの飾りの一種に思えてきた。


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西江バスターミナル。トイレ完備。
雷山と凱里に行くバスがここに来る。時刻表はなかった。適当に客が集まったら行く。適当である。
私が乗った凱里行きのバスには北京からのクソ学生が4人いて、態度がでかくて気分が悪かった。鍋釜でも入ってるのか、と思うようなデカいザックに銀マットまでこれ見よがしにくくりつけている。昔陸サーファーというのがいたが、こいつらはきっと街アウトドア・パッカーなのだろう。

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西江観光村を一歩出たところの風景。これを撮っている私の背中にバスターミナルがある。まぁ、ただの広場だが。


新しく作られたメインストリート街から見上げると、斜面に広がる村のあちこちで新築工事の真っ最中だった。本当にどこもかしこも新しく家を建てている。もちろん苗族風味の建物ではあるが、なぜ新しくする必要があるのか、疑問だった。
西江は世界遺産登録をめざしている。だから通りを整備し、完璧な苗族風味の町を仕立て上げ、美しい装飾看板で統一する。家々の軒には強い光を放つ電球を取り付けて、夜も美しい景観を作り上げる。
たぶん、お手本にしているのは麗江あたりではないか。あそこは多分、今はこんな感じになっているのだろう。完全な少数民族風味の街に。
中国は突き進む。彼らは迷ったり考えたりしない。そんな時間があったら古いものをぶっ壊して新しくきれいなものを作ろうとする。
それが中国なんだよな・・・・・・。
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# by himalaya3 | 2009-03-20 21:30 | 2009ラオ・中国・ベトナム

スキンが・・・

遊んでいたらスキン(体裁)が変わってしまい、前のスキンが見つからず・・・。
そんなに数ないのに、おかしいなぁ、どうしてだろ。
このスキンだと画面横幅がたくさんあっても写真がずれて表示されるかもしれません。
たいへん申し訳なく・・・。
そのうちにまた直したいと思います。
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# by himalaya3 | 2009-03-17 01:06 | 2009ラオ・中国・ベトナム

榕江 餅を食べる人々

従江から榕江へもバスで移動。ちょうど従江のバス駅に行くと発車間際のバスがあり、キップはいいから乗れ、ということで乗ると、席は最後尾だった・・・。かなり揺れが激しいが、道路は舗装されており、少なくとも昨日に較べればはるかにましだ。途中、大勢の人が降りる町があり、そこで運転手に呼ばれて前の席に移れた。

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上左の写真はバスの車内。地方を走る中型バスはこんな感じです。もちろん中では煙草吸い放題、飲食も自由、ゴミは全部床に捨てちゃってください、状態。
右は榕江の中心部にある榕江大橋。町へはこの橋を渡って入り、出るときもこれを渡って出る。

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町で食べた「経済飯」の店。美人のお姉さんは性格もよく、「お代わりどう?」と聞いてくれた。
おかず2品にご飯がついて7元。町のレベルによって若干違うが、このくらい出せば一食食べられる。

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まったく何でもない町の様子。バス駅の近くだ。雨上がりで道路は濡れている。
右は市場。いろいろな民族の人がいたようだ。民族については自信がないが、たぶん苗族だろうと思う。


榕江は、この旅で初めて「外国人が泊まれない宿がはっきりとある」町だった。何軒かに聞いてみたのだが、「賓館以上でないとダメ」と言われた。招待所、旅社、飯店、客桟ではダメということだ。ずいぶん聞き歩いて、ようやく市場の奥のほうに友誼小賓館というのを見つけ、聞いてみたら泊まれるとのこと。賓館の前に「小」が入ってるからダメかと思ったが。1泊30元、なんと、電気シーツ付き。このエリアは非常に寒かったので、ありがたかった。結果論だが、途中で聞いた招待所や客桟よりも安かった。

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常設の市場があり、一日中賑わっていた。特に少数民族が大挙してくる、というわけではないと思うが、十分におもしろい市場だった。

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買ってみるまで半信半疑だったが、餅だった。
紛うことなき、餅。
おいしかった。不思議とここでしか見なかった。

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そしてこれは、なんとなんとなんと、きなこ餅ではないか。
丸餅を茹でて、きなこをまぶす。
砂糖と隠し味の塩を効かせているところまで同じ。
うれしかった。これもここでしか見なかった。

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何年か前のネット上の記事を見て、「静かなトン族の村」を期待して行ったら、なんと、「天下第一トン賽」なるテーマパーク化していた。入場料たしか10元だったかな。忘れました。背後にそびえるのは新築の鼓楼だ。中国は大観光時代に突入している。この国が「ここを観光地にしよう」と決めたときの変化の速さといったら古今東西類を見ないのではないか、と思われるほどだ。
上右は、天下第一の水牛さまだ。実際の村の中とテーマパーク化された入り口部分との落差が激しすぎて、どう捉えればいいのかよくわからなかった。

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天下第一トン賽の中、というか裏。もともとの居住エリア。馬車が石を運んでいた。
上右は、この村の表通り。丸太を載せたリヤカーを押している女性がいた。この道路を乗り合いのバンが走っている。1人3元。大きなバスが来れば、それに乗ることもできる、と思う。

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ガジュマルの木が天下第一トン賽の中に植わっていた。この横に川が流れている。ガジュマルを中国では榕樹と呼ぶそうで、それが町の名の由来になったらしい。

時期になるとこの川で藍染を洗ったりしていると聞く。今もそうであるかはわからないが。
中国の変化は急すぎる、ような気がするが、もちろんそれは彼らにとっては大きなお世話なのである。
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# by himalaya3 | 2009-03-16 23:49 | 2009ラオ・中国・ベトナム